燦然たる黒歴史の溜まり場く(´(Å)`)ツルリ

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2017年06月の記事

あめにこまいぬ553回目/町編

あめにこまいぬ553回目/町編

終章3◆

三十三節〜梱仙索(こんせんさく)〜

 

 

 着物をたくり上げ、柔肌を晒した姿で巨大蛸とやり合っている、と心配性の兄にいえば泡を吹いて卒倒されそうだ。

 発達を続けてごろごろ煩い黒い入道雲。夕の身にも暗雲が立ち込めてきている。
 かれこれ二十発ほど溶解液を浴びせられてきた。軽やかな身のこなしで直撃をさけてきたが、あれはほんの飛沫でも衣類を溶かす。あちこちに穴が開き、ほつれていても軽傷で済んでいるのは秋の隠し持っていた薄物の賜物といえた。
「なんなの、あいつらは」
 集団で浴びせかけられるとちょっと、いやかなり腹が立つ。子供たちに追い回され、捕まえられそうな虫の気分になる。駕籠に入れられ愛でられる蝶にはならない。
「もじゃもじゃのうねうねなのが、へろへろのへとへと」
 日記にそう記すつもりでいる。近寄った時だけ俊敏に腕を伸ばしてしなだれかかるもきりきり舞いさせられ、蛸共はお疲れだ。ぎりぎりの間合いで夕に挑発されやる気をだす蛸もいて、全力で距離を詰めてくるがそれも長続きしない。しばらくすると猛追をやめてしまう。
 特に撃ち漏らした連中はへばっていて、ぐんにゃりうつむいてしまっている。人間風にいえばぜいぜいはあはあ息を切らしている最中。しばらく経っても夕を追い回しもしない。その場に留まって幽霊柳の枝みたく腕をうねうねさせているのでとうせんぼぐらいになっている。逃げ場が狭まっていっているが、まだ案山子も同じ。むしろそいつらが身を隠す陰になってくれたのでしめしめだ。


 蛸についてまとめよう。
 動きは鈍くて数に恃んで押し包むつもりだ。
 確実な弱点は眉間。腕はよくしなる鞭みたいで捕まると大事な吸盤をもつ。あの厄介な飛び道具は腕から放たれる。一杯につき一発で大変な精力を失う。急ぎ足は得意じゃない。知恵はあって後手後手でも対策をしてくるのがもっとも手強い。
 人が矢を補充するようにできるかは知らない。無駄撃ちさせてへとへとになれば仲間を逃がすのも楽になる。雲霞の如くいるのが困りものだけど。やられ放しは癪に障る。

 最初は悠々と倒せたが、腕を簾みたいに掲げた蛸は銃撃も斬撃も効果が薄い。
 松明のように燃え盛る腕は速やかに切り離され、残りの腕が寄せ集まって合間を埋めるので丸腰になったといいがたい。ゆらゆら揺れる吸盤が人をあざ笑っているみたいで疎ましい。


 警戒されぱなしの今、本体に痛撃を与えるなら大きく回り込むか接敵しなければならなくなった。どう料理したものか。弓でももってくればよかった。
 夕は大胆に円弧を描く軌道で飛ぶ。猫顔負けにくるりと態勢を入れ替えて腕を交わしながら、蛸の頭上を通過する際に銃撃を放つ。青い血が迸る。
 奴は玉を食らう寸前まで土鈴の穴みたいな目でこちらを見惚れていたようで身震いがした。
 着地後はぐるんと地を転がりつつ、速やかに離脱を心掛けた。即撃破といかなかったが体色の変化は負傷の深刻さを示している。意外な俊敏さでぬたっと絡んでくる腕を掻い潜るのはぞくぞくするけれど要領が悪いやり方だ。接近と離脱を繰り返して処理を続けながら、他に有効な方法がないものかと思案していると怒る蛸の報復が飛んできた。あれだけ撃たれれば夕も弾速に慣れてきた。すれすれでかわし、放たれてくるものの目星をつける。白子めいた弾、白濁の飛沫。地面に落ちた粘塊から白い煙が立ちのぼる。胸が悪くなりそうな臭さ。

「次から次へと」
 集団の総体は緩やかなまま、慌てず騒がず追手を補充しながらじりじり迫ってくる。こちらが疲れてくるまで続けるつもりかもしれない。


 ちょっぴり息苦しく、胸が気持ち悪くなってきたがまだ追いつかれはしない。そうこうしているうちに燃やせる弾が尽きた。水の弾は微妙そうだけどやるしかない。
 接近して跳躍。発射。水しぶきがあがる。燃え盛る炎のような派手さはない。水妖に効き目は薄そうだ。着地してもとどまらずそのまま転がって駆けずり回る。
 夕は狙いをつけた蛸に射掛けられたがそれを交わしながら懐へと飛ぼうとした。

 踏み切る間際、唐突に周囲が真っ暗になって夕はうめく。

 烏賊の墨。秋たちにご執心だったのですっかり見逃していた。なぜ今になって妨害を。動揺を隠しきれないままで、夕は勢いのまま目測で飛ぶ。

 すれ違い様、銃を放ったはいいが吸盤に履物が引っかけられた。

 態勢を崩し、地面に顔から落ちそうになるのをこらえるも着地の仕方が悪く、すぐに起き上がれない。蛸もさるもの、青い血で額を濡らしながら懸命に腕を伸ばし絡みつく。手足を拘束された。
「あっ」
 着物がぴりぴりと震え、破れる。露わな足首から蔦みたく腕が絡まり、ゆるゆると上を目指してくる。夕は怒り銃を立て続けに撃つ。生温かくねちっこい。弱り、微細に震えながら緩慢に伸ばされる魔手の触感に鼻にかかった唸りを発せないではいられない。吸盤は吸いつくというよりも、接吻を受けているようでもあり赤子の手で揉み療治をされているようでもあり、体がじんわりと痺れてくる。毒かもしれない。
「重ね着をしている箇所に及ばないけれど、素肌でも薄い膜がかったような結界が張り巡されるから動きを妨げないし、着ている気がしない優れものよ」
 動きやすいように秋が豪語していたのが仇になる。脇差で切り払おうとするがぬめぬめしていて刃筋が立てにくい。こいつめこいつめ。やるならひとおもいにやれと思ったが、こいつは仲間がはせ参じるまで放すつもりがないようだ。動きやすさを重視してまくりあげていた着物をいいことにやわやわと内太ももに差し掛かられれば、さしもの女傑も甲高い悲鳴を漏らす。
 
 もはやこれまでと思われた時、闇を照らす流れ星が飛ぶ。
「なっ」
 小石ほどの火の玉がばらばらと弾ける。あわやのところで腕の締めつけが弱まり、くたりと地に伏せる。夕はほうほうの体で墨の領域から這って抜け出る。
「がううるう」
 憤怒の唸り。夕の目に飛び込んできたのは小さな歩幅で遅れてやってきた虎児だった。総身の毛を逆立て極めて遺憾の意を表明する。これでもかと口から火の玉を蚊帳めいた墨の領域へ吐く。

 夕は虎児のいじましい行いに嬉しく思った。しかも銃と弾薬一式を背負ってきている。お荷物の主と比べればなんともありがたい妖刀の化身。


「あんた、うちくるかい、うん」
「くうん」
「犬の泣き真似やめて。あんたも蛙の子ならぬ虎の子なんだね、そうまでしてじゃれたいか」
 とはいえ窮地を救われたのも確か、抱えてわしわししてやる。
 だがそれを体に括りつけている布に目を留めた。艶っぽい黒に見覚えがある。くのいちの晒しだ。
 闇夜での黒はむしろ目立つとは彼女の言。むしろ派手。なら何故身に着けるのか。解せない。独りでどうやったのだろう誰かが縛って送り出したと考えるのが順当なのだが。波打ち際の潮みたく寄せてもすぐに返した感動。
「おかめは大胆だなあ。ああ。そうじゃなかった」
 脚はまだ痺れが残っている。しかも吸盤跡が赤い痣になっていた。
 憤慨する夕めがけ、またもや射撃が行われる。うっとおしい。あいつらめ。ともあれ頼もしい援軍だ。銃を受け取って倍返しをしないと気が済まない。
「あんたを頼りにしてあげるわ、感謝しなさいよ」

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あめにこまいぬ552回目/町編

あめにこまいぬ552回目/町編

終章3◆

三十二節〜弾丸〜

 

 弾を受けた蛸はさっと血の気が引いていき、赤と黒が、白と青緑にさあっと変じていく。目と目の間、つまり人でいう眉間は急所で間違いない。肉を鉄板で押し当てた時のじゅわっと加熱音を立てる。常灯町でした精進食いを思い出した。異国の調味料で味付けされていてなんともいえず美味。また食べたい。
 火の気を封入した銃弾が余勢を駆って焼き上げるまでいくのか、という期待をしてみたが加熱音はそれっきり音沙汰がなくなってしまった。
「水気が多いのかな」
 拳銃というものはかなり便利だ。惜しいかな弾が限られている。と付近の蛸を撃ちながら夕は思う。腕だらけの相手に剣の間合いは面倒そうだったから丁度よかった。
 伝説の海坊主の正体はこいつらなんだろう。柄杓で水を入れて舟を鎮めるというけれど、面倒な作業をしなくてもあの図体と数なら片方にひっついて揺らすだけでいいのに。白雨家が討伐ついでに近海から連れてきたのなら昔の海はどれだけ危険だったんだろうと思った。あんなのがひしめく場所で合戦も無理だし貿易港なんて開けない。渡ってくるのですら命がけ。
「あれって舟幽霊だっけ?」
 わざわざ運んでくるのも手間なのによくわからない真似をする。まあいいや。

「蛸入道多ぃ。あの子から銃と弾拝借しとくんだったぁ」
 赤黒い蛸まみれの壁。古ぼけた庭園風の赴きを楽しむこともできない。周囲が荒れた赤茶けた地面に様変わりしていたのはなにかの理由があってのものなのか。


 保養にできるものがない。後ろはもくもく。周りはうねうね。目がおかしくなりそう。発達していく不穏な入道雲に紛れて見えにくいが定期的に補充される墨の霧から烏賊たちがうろついているのがわかる。

 重なり合って正確な数はわからない。でも動きは鈍いしおっかなびっくりだから注意すれば平気。自分が獅子奮迅の戦いをみせつけて士気を落とし隊列を崩せば離脱の糸口もつかめるというもの。
 秋の射撃は無慈悲に一撃づつ獲物を仕留め続けている。死屍累々。
 獏によれば彼女は同族でも大店のお嬢様、お姫様に匹敵するらしい。地位だけでなくあれだけの腕前に美貌をもつのにたった一人の男の心を射止められないなんて。
「不思議だよね」
 銃撃こない方角に向くと、人間大の蛸の威容が腕を元気にうねうねさせながら迫ってくる。腕を伸ばした長さまで含めればかなりのものだ。手にも足にもなるなんて便利、二、三本あれば痒い所に手が届くし、寝そべって読本を愉しみながら急須からお茶を注いだり、おかきを食べられるのに妖怪蛸女房になってしまうけど。
 もっとも近い蛸が腕の一本を夕めがけてぐぐっと伸ばす。槍を構えているよう。夕は臆さず弾をしっかり叩き込める間合いによる。本来なら遠巻きに射掛けてもいいけれど弾数が心もとない。なるべく一杯一発で倒しておきたいのだ。
 やおらに跳躍し、腕がぶつかるすれすれまで待ってから引き金を絞る。腕が夕に悪さをしでかす直前、至近距離で火炎弾を浴びた蛸はこれ以上なく脱力していく。
 飛び石の要領で踏みしめれば履物が深くめり込み、胴があっけなく萎んでしまったせいで踏み切る前につんのめる。もうちょっとなのに。私は身軽さに自信がある。早く馴染んで曲者の魔の手を掻い潜り、ひらひらと舞いながら戦いたいものだ。


 蛸はあまり急がず仲間の救援にやってくる。夕も小走りで接近すると腕がこないぎりぎりの間合いから撃つ。耳栓が欲しくなる炸裂音と同時に蛸の腕が半ば千切れ、だらんとぶら下がる。獏からもらった弾は命中部を生木の小枝に着火する時のように強引に燃やし、すぐに下火になる。熱さと痛みに体色をどす黒くさせながらも、蛸は負傷した腕を根元付近で切断して延焼を免れた。
 弾は急所から逸れたようだ。間髪入れず脇差をかざすと蜻蛉返りを決めながら上空から強引に踏み込むとそのまま急所に突き立てて仕留めた。
 見た目に違わず蛸どもへの打撃斬撃の効果は控えめなのはわかった。着物にくっついた吸盤を腕ごとぶった切りながら夕は威勢よく叫ぶ。
「やれやれ一杯一発ね。さあ次いくよ、あたしの気分が変わらないうちにおいで」
 撃ち漏らしは危険覚悟で屠る。

 夕が銃撃した数杯の同胞たちの惨劇を目の当たりにして、彼らは対策をとりだした。
 多くの腕を逆さにした簾みたいに持ち上げて急所を守る。後続の連中も右に倣えで防御を固めて緩慢な包囲を試みようとする。戦国期、竹の束を立て銃弾防御に用いたという。兄の読本の挿絵にあったのと風情が似ている。こんなに気味悪くないけど。
「味な真似をしてくれるじゃない」
 移動に用いる本数が減ったせいでより動きが鈍重になる。元より機動に秀でる夕は悠然と後退して仕切り直す。援護射撃の方角を確認してから横に回り込み、腕の防御が薄い場所を狙って撃つ。腕を貫き、胴部でじゅうっと加熱音がしたが、体色が急変するまでいかない。
 飛びあがり、腕の防護が薄い斜め上から斬りつけ退色に成功する。素足に吸盤を巻き付けられそうになって冷や冷やした。
 防御を固めながらやってくる蛸共が一本だけ腕を伸ばして夕の側へ向けた。隙間から片目を覗かせて夕を窺っている。銃口を向けた方角を特に固めてくる。


「蛸めえ。伊達に頭でっかちじゃないってことね」
 ここで弾切れ。しっかり後退してから蓮根型の薬室を横へ振り出し薬莢を排出、一発づつ装填する。次に武器の配給があればもっと弾を込められるものが欲しい。
 殺気を感じて体が勝手に動く。
「痛っ」
 逸らした肩口に強い衝撃に受けて夕は顔をしかめた。剣山を叩きつけられたと思うぐらいの痛みにとっさに手で押さえそうになるも、患部を確認して直前で推し留まる。熱を発する白くつやつやした粘液が着物を汚し、嫌な臭いと煙を立てながら絵柄を溶かそうとしていた。肩に力を入れれば部位毎、布地がぼろっと剥離して肌が露わになる。羽衣が発する結界のお陰で皮膚への浸潤はなさそうだった。
 しかし大した衝撃だ。それも飛び道具。
 差し向けた腕の先端は役割を終え、ぼたりと落ちて退色する。それでもまだぐにぐに蠢ているのが薄気味悪い。

 はっとして棒立ちだった夕はとっさに身を翻して、雌虎の如く横跳びをする。機動力差を鑑みて間合いをとったので油断していた。悠々と銃弾補充をしている間、あちらも報復射撃を準備していたとは。
 少し遅れて立っていた場所に二、三発の白い塊様の液が飛んでくるのを確認した。柔らかく地面を転がり着地の勢いを削ぎ、直ぐに片膝立ちになる。地面に落ちてごぽごぽと泡ぶくを作りながら焦げ臭い匂いを発している。


 そいつらの伸ばした腕もしなびてぽとっと地面に転がる。回避動作で狙いを絞らせまいとしながら、まだ発射していない連中が獲物の移動に合わせて照準を動かす一本腕を観察する。他の腕と少し違って吸盤の形が違うようで膨らみを帯びていた。どうも一杯に一本ずつと考えてよさそうだ。
「ははん、あんたらの銃というわけね。やってくれるわ乙女の一張羅を。次郎がましに思えてきた」
 真砂並の術者に恐れをなして遠巻きに包囲を続けているかと思えば、数に恃んで幼気な乙女を嬲ろうとしている。いるだけで猥雑な視線を投げてくる次郎以上に破廉恥な奴らだ。三、四発の射撃がばらばらと行われる。うっとおしい。あいつらの間合いはどれほどあるのだろう。
 獏の弾幕は途切れたまま。秋の射撃間隔も落ちてきている。踏ん張ってみせないと。

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あめにこまいぬ551回目/町編

あめにこまいぬ551回目/町編

終章3◆

三十一節〜熒惑(けいこく)〜

 

 透き通る獏族の布地はすべらかな手触りをもち、宙に放りなげてみれば羽毛よりも軽くふんわりと舞い降りていく。まさしく天女の羽衣になぞらえたかのようだった。湯文字と晒しの代わりに身にまとった直後から、夕はいてもたってもいられぬような高揚感を覚えていた。
 善後策を練ってはいるが、あてにしていた秋の失速による緊張と混乱のせいで煮え切らない仲間たち。じっとして考えをまとめている時間とっくの昔に過ぎ去った。ばんばん煩い銃声。気がつけば勇躍、一騎駆けを敢行している最中だった。
 大地をぐっと噛んで駆けようとしたがとても軽く、鶴が飛び立つにも似た感触に夕は目測を誤り体の均衡を崩す。危うくつんのめりそうになりながら着地した。羽衣の着用は風を受ける翼のように、夕に適性を与えている。これなら天狗の高跳びも、その実践例判官義経の八艘飛びの秘術も鍛錬次第で我が物とできるかもしれない。
 蛸軍団と乙女たちを隔てている黒い霧状の墨を抜ければ、たすき掛けで袖をまくしあげた腕と、端折って大胆に晒した白い脚へ向かい風がさあっと吹き抜け、どんよりねっちょりと着物を湿らせる霧中にうんざりしかけていた気分をより快くする。
「うわっ」
 だが直後にうねる湾曲のぬめり具合にちょっぴり盛り下がった。遠眼鏡の先で蠢いていた異界の蛸たちが地平を覆う。人並みに大きい奴らが互いの腕をまぐ合わせ、赤い臓物の生垣をなしている。蛸どもは実に慎重にじりじりと人間でいえばすり足で包囲を狭めていた。
 獏族のもつ先進的で苛烈な銃撃によって五体を執拗に砕かれ、ぐにゃりと萎びた同胞を踏み越えて続々と参陣する新手が壁を埋めていく。


 緩慢で欠伸がでそうだが真綿で首を絞めるように確実に、万全を期して数で攻めてくる。そんな両者の距離は少しづつ迫まっている。あんなにおっかない銃で突き、打たれても往生際が悪かった。あいつらに刀の切断が効くかしら。ちらりと抜いた刀を見やる。兄がなけなしの銭をはたいて持たせてくれたといっても、まあ我が家の家禄では中の下ぐらいの大したことのない安物。でも拵えも可愛らしくあれこれいじってきたお気に入り。
 よろしくないと思った途端、跳躍の歩幅が食い違った歯車みたいにがたんと落ち、今度は顔から赤茶けた地面に激突しそうになる。なんでここら辺はこんな色をしているのかわからない。夕はかろうじて受け身をとろうとしたが半端な態勢で地面を転がった。
 じゃりじゃるしている口に混じった土の味はわずかに塩気を含む。


「妖力って当意即妙だわ」
 少しの気後れが如実に表れる。極限で剣の立ち合いをしているみたい。かき回そうとしてみたが、重厚な牡牛みたいにどっしり構えた長村芽衣にいいようにやられた時の威圧感を思い出して、ため息をつきたくなる。
 それでも夕は泣き暮れる質ではない。さっさと気分を変えようとした。とりあえずぶった切れるか試してみてから。どうやって食べよう。やっぱり大味なのかな。
 夕の接近を察知して目の前の壁がせせりだし尖る。夕は先頭の巨大蛸一杯めがけ、一足一刀の間合いを崖を往来する羚羊さながらの足取りで容易く分け入り、幾重に伸ばされた魔手を掻い潜り、兄から贈られた脇差を振るう。すぱりと腕だか脚だかわからぬ一本を三分の一ほど切断してみせた。いける。夕は返す刀でしつこく伸びてきた腕を斬る。それから後ろへ跳んで間合いを整える。蛸の動きは衰えない。土の上であれば犬ほども早くないが、夕を身震いさせるうねうねの残りほとんどを脚として用いてわしわしとやってくる。しぶとい。人なら指の一本でも斬られればたちまち力を籠められなくなるというのに。
 夕は今一度跳躍する。銃撃で体を引くつかせる蛸に弱点を見出し眉間めがけ突きかかる。だが鞭みたくしならせた腕を左ふくらはぎをわずかに掠める。木刀を叩きつけられたと錯覚する衝撃に歯を食いしばりながらも胴につかの間の着地を決める。隼が獲物を捕らえるように斜め上から突き刺せば、やけに硬い手ごたえがあった。
 ひしゃげた紙風船みたいになった蛸。夕の履物では踏ん張りも効かず、ずりずりと滑り降ちそうになりながら飛び退く。流れる青い血。一拍遅れて振られてくっついたままの上腕は重く、脇差を引き抜くのも苦心する。その最中には機関銃の忙しい断続音は止み、正確無比な狙撃銃が夕に群がろうと壁から離れた蛸たちを順繰りに討ちとっていき、夕へと速やかに到達するのを阻む。獏が発砲をやめたのは弾切れか作戦行動中のどちらかだ。

 幸いにも銃弾を受けずに済んだ連中はのろのろ加勢にやってくる。お陰で夕は抜いた刃で着物に吸着した腕をこそぎ落とす暇があった。不揃いの大きさの吸盤たちの中には小さな果実位ならつまめそうなものあって、改めて気持ち悪がらせる。
 脚がひりひり痛む。掠っただけであの重みだから見たくなかったが、白い素肌がちょっと細い棒で引っ叩かれたみたいになっている。
「ああもう、なんて真似すんの」
 ぷりぷりすることはまだある。
「あたしの着物がなんてこと」
 上腕部の布地がぼろぼろと千切れて落ちた。秋かなのりがいっていた、羽衣のうんぬんかんぬんの仕組みで着用者の衝撃を和らげ、受け止めた分は羽織った布地を犠牲すると。大層な攻撃だったのだ。
 こんなんじゃなかったらもっと痛んだ着物できたのに。
 恨めしい。獏は妖力を吸わせた札が銭と交換できるといっていたが全滅させれば何着、着物を卸せるだろう。

 

 焼いて食べても大味だろうな。あの長村道場の大食いなら瞳を輝かせながらこういいそうだ。
「活きもよさそうですし、料理法次第で美味しくいただけるのではないかと」
 脳裏に映った実に白々しい表情の門左を夕は鼻で笑う。
「さて、どうしたもんでしょ」
 鞭並に撓み、木刀並に硬い。ぶつかればひっついて動きを邪魔する。厄介づくめの腕があれだけある。斬り飛ばしてもひるまない。間合いの狭い脇差よりも銛、いや引っこ抜きやすそうな素槍が欲しいところだ。足だけでなく腕や背中にも力が満ち溢れているので、目方が重いものも使いこなせる気がしているのだ。

 まあないものはしょうがないと思いつつ、帯にはさげていた獏から渡された拳銃を抜く。あらかじめ突入前に黒革製の収納具も受け取っていたのだがいまいち収まりと見栄えがよくなかったので羽衣を下着として着直した際に外してしまった。今度は秋にねだって洋装の見立てをしてもってから身に着けよう。


 獏は赤が炎、青が水の力を秘めているといっていた。小袋に詰めた弾丸はおかめと分けて二十発ぐらい。すでに装填された弾丸をまず全て抜き、先端部が赤に塗られた弾に入れ直す。回転式弾倉を備え、煩わしい火縄管理も弾薬調合も合間の掃除もなし。立て続けに六発発砲できる優れもの。便利だ。獏は銃身が短いので射程と命中精度はいまいちといっていたが、撃ちかけて得物が引っかかることもなし。
 槍や火縄、脇差よりもかさばらないし刀の鍛錬はいらないなあと思ってしまう。こんなものが流通してしまえば要鍛錬な自分の剣術四天王の座も微妙になる。今度は拳銃使いでもやろうかしら。
 夕は右足で踏み切って跳ぶ。そして腕が当たるか当たらないかの間合いまで詰めると、眉間めがけて拳銃を撃ち込んだ。
「触んないでよ」

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