燦然たる黒歴史の溜まり場く(´(Å)`)ツルリ

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四国の記事

空でダンスを〜完全版〜終

空でダンスを〜完全版〜』

 

28

 

 

 

「ハクション!」
   
 若い登山者はくしゃみと一緒に目を覚ました。ハイキングコース途中のベンチで眠りこけていたみたいだ。
「おいおい、この肌寒いのに居眠りなんて……僕はどうしたんだろう」
 若者は誰ともなしにつぶやいた。
 けれど、気分は悪くない。もう思い出せないけれど、素敵な夢を見ていたような気がしたから。
 とりあえず準備運動をし直し、中間地点の山小屋目指して進む。
  
 約一時間の登山の後にようやく辿り着いた山小屋は、暖炉に薪がくべられており、ぽかぽかとしていた。

 若者は背負った荷物を床に降ろしてから、丸太の椅子に腰を下ろす。客は数人いて、ワイワイと楽しそうに談笑している。新聞を広げて読んでいたり、トランプに興じている者もいる。
 新聞の一面は、「世界的財閥の一族であるエリザベス・ハレヴィが、国や政治、思想信条を越えて子供達のために基金を創設。『男が壊し奪いの繰り返しを戦いというのなら、女は守り育み愛しむことを戦いとする』」とある。
 番をしているらしき老人が微笑しながら、カップに飲み物を注いで持ってきた。甘くて優しい香りが疲れた体を包み込む。
「ご苦労さん、若いの。どれ、あったかいココアはどうかね?」
「ありがとう。いただきます。にぎやかでいいですね。平日なのでふもとはまばらだったんですけれど」
 ホッホッホと老人は笑った。
「まあよそからのお客はのう。かき入れ時のクリスマスはまだ先じゃしな。田舎だが、ここのクリスマスは盛大じゃぞ。街の者が総出でダンスを踊るんじゃ。寒さなんて忘れてしまうぞい」
「へえ、楽しそうだな」
「まあなんじゃ、綺麗な娘っ子とダンスでもすれば楽しい聖夜になるじゃろうて、ホッホッホ」
「せっかくですけど、今回は田舎に帰ります。おじいさん見てたら、親父の顔を思い出した」
 若者は頬をかきながらもうれしそうに笑った。
「どら、親孝行ついでにこのじいの相手でもしてくれんかね? 勝った方がクリスマスプレゼントをもらう。儂達は大人じゃからの、なに、細かいことは無用じゃ」
 ごそごそと年季の入ったチェス盤を持ち出す老人に、若者は自信たっぷりに応じた。
「喜んで。今年は久々にプレゼントがもらえそうだ」
 今年のクリスマスは故郷に帰ろうと決めた。あの不思議な夢のおかげだ。
 早くも夢の思い出は風に吹かれておぼろげになり始めているけれども、そこで出会った人々にもらった前向きな気持ちだけは忘れないだろう。
   チェスの駒を動かしながら若者はそう思うのだった。
   早くも老人はひげをしごきながら言う。

「ほれ、チェックメイト。よし、ついでにお前さんの親父殿の分も稼ぐとしようかの」
   

 

 その時、若い女性が山小屋の扉を開けて入ってきた。
 美しい灰色の瞳。ブロンドの髪をかき上げる様子に若者はみとれる。

 どぎまぎしている彼に、彼女は話しかけた。
「ああ、疲れたわ。お兄さん、私ちょっと喉が渇いちゃったのね」
 若者は、呆気に取られつつもリュックに捻りこんだままのコークを思い出した。それを彼女に渡そうと考えた。瓶はよく冷えている。ブロンドの髪に灰色の瞳をした彼女に、彼は勇気をふり絞った。
「お代は、ダンスの相手で結構だよ?」
「あら、残念。今は温かい飲み物がいいのよ」
 あっさり断られてしょげる若者の肩をぽんと叩いて老人がホッホッと笑う。
「どれ、儂が暖かいココアを淹れようかの。ほれ、お前さんも飲まんかね?」
 


  
 あるクリスマスの夜。
 若いサンタがノートとにらめっこをしながらブツブツいっている。片手にはノート、もう片方にはソリの手綱が握られている。
 そんな状態であるにも関わらず、ソリは年上のトナカイが仲間達を統率しているおかげで、順調に空を駆ける。
「我らの神は慈悲深い。この聖夜にサンタクロースへ奇跡の力を授けて下さる。プレゼントを貰えるのはいい子だけさ」

 言って若者は胸を張る。そこには、月明かりを受けて微かに輝く玩具の勲章が、誇らしげに飾られている。

「ブルゥ!」

「さすがは、僕のアハトだね。早いだけでなく、統率も見事だ」
  若いサンタはトナカイにそう言うと、軽やかにソリから煙突めがけて飛び込んだ。家の中を抜き足差し足で歩き、子供部屋のドアを音を立てないように開ける。
 ベッドで女の子がすやすやと寝息を立てている。枕元には特大の靴下が引っかけられていた。
「おや?」
 若いサンタはごしごしと目をこすった。すでに靴下はプレゼントでパンパンにふくらんでいた。
 隣にはクリスマスカードが置いてある。誰も見てはいないのだけれど、ジョージは大袈裟な仕草で悲しみを表す。


「ああ、なんたることだ。配達地域を間違ったかな――なんてことだ。ああ、これはギリシア悲劇にも匹敵するに違いない。この試練は汚名を返上する千載一遇の好機なのだ! おお、悲劇の主人公。そうか、そういうことか。神は僕を愛しているからこそ、こうやって試練をお与えになるのか。身をもって道を示してくれた偉大な先輩方の様にね……おや?」
 ばつが悪そうに若いサンタは、しばらく一人でぶつぶつ言っていたが、ふと視線を動かした時に宛名が「サンタさんへ」となっている小さなクリスマスカードに気付いた。

 そっと開けて読んでみる。


 そこにはたどたどしい字でこう書いてあった。
「いつもありがとうさんたさん。 さんたさんにもぷれぜんと。 めりーくりします」
「ふむ、つづりが間違っているね。しかし、君の気持ちは僕に伝わったのでよしとしよう」 

 若いサンタは、どこからともなく取り出したペンでつづりを直し、戸惑いの後で少し恥ずかしそうに笑った。そして女の子のおでこにキスをしてから、優しくささやいた。

「メリークリスマス……」

 

 <いらすと・樫乃ぴすさん>

 


 

メリークリスマス……

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空でダンスを〜完全版〜27

空でダンスを〜完全版〜』

 

27

 

 

 クリスマスがやってきた。争いは収まらず、地上は戦いに忙しい。
 

 聖夜だというのに、空まで不穏な空気で満ち満ちている。
 サムは、師と共にずっと見守って来た街をソリの上から眺める。

 サンタのサムにとって、敵意を抱いて飛んでくる何者かの気配を察知するのは訳のないことだった。
 また、聖夜に高められた第六感は、飛来する者の規模や到達時間といったあらゆる予感を、胸騒ぎの形で彼に教える。この不安は師匠・ジャックが、かつてのクリスマスに感じ取ったのと同じものではないか、と彼は思う。いや、戦争を知らずに育った自分よりも、空で戦っていた師はもっと明確に危機を察知していただろう。


 彼等はこの空にやってくる。愛する者を守るために、愛し合う者達を倒しにやってくる。
 そうして生まれた悲しみがサンタクロースとしてのジャック達を生み出した。

 師が去った時も地上は、次なる戦いへと向かっていた。
 そしてその頃の自分は、自身のことだけで頭が一杯で、他のことに目を向けやしなかった。けれど、今は違う。少しだけ、そう少しだけはサンタクロース、いや人として師の気持ちが理解できるようになったのではないか、と思う。 


 ジャックの日記にはある秘法が記されていた。師から伝授された奇跡の御業。
 大がかりな奇跡の代償は、強い想いを宿した魂。

 業をなしたジャックは二度と帰ってくることはなかった。

 刹那、ルシアの微笑んだ顔が浮かんだ。


 賢いジョージが言ったように、これは偽善であり、一時の気休めでしかないのかもしれない。
 自称青年詩人の彼ならばもっと綺麗な言葉で皮肉に表現するのだろうが――大海に投じた一石の波紋に過ぎない。
 争いは続くだろう。サムにだって分かっている。それでも見過ごすことはできない。
 人々がほんの一時でも明日への希望を抱けるような奇跡を届ける。これほどサンタクロース冥利に尽きることはないだろう。
 
 師が起したのは、戦闘機が飛べなくなるほどの大きく激しい吹雪。
 自分にはジャックみたいな壮大な奇跡を起せない。それでも――。
「ルシア、先に行くよ」
 決意をその胸に抱く。
 
 サウザントとヴィアの夫婦はブルッと鼻を振るわせた。
 プレゼントを配り終えた白い袋には、ぎっしりとクリスマスカードが詰まっている。
 あふれてこぼれたカードには、一見整った子供の字で「ともだちがほしい」、「さみしい……」、そして「おとうさんがはやくかえってきますように」、「せんそうがはやくおわりますように」と書いてある。
 サンタを載せたソリはシャンシャンと音を奏でながら、星のきらめく夜空を駆ける。
 街の真ん中でソリは停止した。サンタは袋を抱え持ち、口を開いた。
「今日は、みんなで楽しく一緒に踊ろう」
  
 開けた袋の口から、たくさんのクリスマスカードが飛び出して、ひらひらと夜空に舞い始めた。それらは散り散りに破れて色とりどりの紙吹雪になり、街に降り注ぐ。
 やがて紙吹雪は、空の黒をステージにいつの間にやら吹き始めた白い雪混じりの風に乗って、ふわふわと踊りだす。
 地上のクリスマスイルミネーションに負けずとも劣らない華やかな舞踏会に、トナカイ達は目を細めた。ソリと彼らをつないでいた綱がゆるみ、トナカイ達もクリスマスカード達と楽しくダンスを始める。サウザントとヴィアの二頭だけはソリを受け持って楽しそうな仲間達を幸せそうに眺めていた。
「メリークリスマス。いい夜を」
 主の声と共に、トナカイの夫婦はソリが一段と軽くなったのを感じた。
「ブルッ」
「ブル……」
 夫婦は寄り添い、賑やかな宴を目を細めて眺める。

 

 

「よお! サム坊や、お前さんのパーティもなかなか悪くないもんだな。ここにゃ、気取ったスーツの着用義務もねえ、ご大層な身分も必要ねえ、誰も俺を馬鹿にしねえ、ちっとも恥ずかしくねえや」
 いつぞや追い払ったきりだった、悪魔の声が遠くから聞こえて来た。
「久しぶりだね」
「そりゃあ、お前さんのところに居ても飯の食い上げだったからさ。最近はちょっと見込みのありそうな若造がいたもんで、そいつとよろしくやってたんだがな。この街がやけに楽しそうなんで、古馴染みの縁だ、仕事をさぼってちょっくら顔を出したって訳さ」
 そいつはとびっきりこっけいな姿をしていた。背中にはコウモリの羽。しかし、そんなことも忘れて楽しそうに踊っている。
 やっとサムは理解した。この悪魔は心の醜い部分を請け負っていたのだと。そして彼が容貌の醜さを気にせずに、ダンスの輪に加わっていることがなにを意味するのかを。


「こいつは愉快だぜ、サム坊や。俺をのけ者にせずに呼んでくれたな……ありがとよ!」

「呼んだ?」

「ああその通りだ、白い翼の天使殿。だからここに居られる」

「そんな大層なものではないよ。ただのサンタだよ」

 悪魔は微笑んだ。

「忘れるな、闇も共にある。だが、恐れて目を背けるな、臆して拳をとる前に良く向き合うことだ」

 そういって悪魔は、サムに手を差し伸べた。サムは彼の手をとり、硬い握手をした。
 確かに顔は醜かったが、邪気のない笑顔には愛嬌が生まれ、また優しく輝いていた。彼はちょうど背丈が同じくらいの子供達とダンスを踊り喜びの声を上げる。そこに、あやふやな『一番』というものに執着していた、欲深な面影はなかった。
 そんな悪魔にサムは大きく手を振る。
「存分に楽しんでくれ」
「お前もな! ほら、お客さんが来てるぜ?」
 彼が指差す方向を見たサムは微笑んだ。
 両手を広げて、歓迎の仕草をしながら言った。
「いらっしゃい――さぁ、君も一緒にダンスを踊ろう」 

 

 

 サンタも一片の雪にのり、風に乗ってワルツを踊る。
 いつの間にか加わった戦闘機までもが、縦横無尽に曲芸飛行で飛び回る。
 落とされたミサイルはパッと弾けてきれいな花火になる。ポップコーンを吐き出す機関銃の発射音はラッパになって愉快なビートを刻む。暗雲の切れ間から、眩い光が差し込んでスポットライトになる。

 

 この日だけは敵も味方もいない。その晩、大人も子供もみな同じ夢を見た。
 踊り方は様々だけど、互いに笑い、手を取り合って風や鳥達が奏でるリズムにのり、空のステージで楽しく踊り飽かす夢だ

 

 

 

<いらすと 樫乃ぴすさん>

 

 

 

 

 

空でダンスを……

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空でダンスを〜完全版〜26

空でダンスを〜完全版〜』

 

26

 

 

「サム、我が息子へ」
 朴訥な文字からはジャックが淹れた濃いココアの香りが漂ってくる気がした。
 サムは自宅の丸太小屋でジャックの遺した日記を開いていた。


 ソリ大会の後、宴会は結局夜明けまで続いた。
 酒豪に酔い潰されたサンタ達はそのまま会場で眠りこけ、鼾の大合唱で鳥のさえずりを遮った。飲まなかったサムも御蔭で寝不足。瞼をしきりにこすっては生あくびをする。ルシアとサウザントを叩き潰すと宣言した当のジョージも、例に漏れず彼女のお小言を延々聞かされた末に酔い潰されていた。 豪快でのどかな風景だった。

 だが、目を覚ました後のジョージはおしゃべりなのは相変わらずだった。
 若者は世界の矛盾を自分だけが見出したのだ、とばかりに皮肉を吐く。
「お楽しみのところを失礼。酒色にふける皆さんに、酔い覚めの水を差し上げましょう。サンタなぞ、所詮は偽善者の集まりですよ。たった年一回のプレゼントで聖人を気取るなんてめでたいね、全く! そんな汚い色で僕の色を塗り潰すなんてね。大体、それでどう変るのか――いいや? 戦争で人は死ぬね。爆撃機から振りまかれるプレゼントは、揺らがぬ永久の死を与える。忘れえぬ業火の記憶を心に体に、まざまざと刻み込む。忘れえぬ悪夢をね。だがね、いいか、よく聞け。サンタのプレゼントは手品で取り出したうたかたの花束なのさ。せいぜい焼け石に水なのさ。綺麗なだけで、その実、全く役にも立たない!」

 実際、戦争は泥沼化して、火の粉は世界中に広がっているという。

 それをサンタの誰しもが憂えている。しかし、戦いを終結に導く力は与えられていない。

 だからジョージの言葉は、サムの心に鋭い槍となって突き刺さる。
「サンタはプレゼントに心をこめて配り続けるのが仕事じゃ、ジョージ。焼け石に水と分かっていても、いや分かっていればこそ。爆弾は絶望を与えるが、わし達は子供等の心に一片の希望を与えなければならんと思う」

 ジョージは鼻で笑った。
「全く、綺麗事、綺麗事、綺麗事の行進ですね。当たり障りのない物言いで、真実を隠そうたってこの僕の眼は曇りやしないからな。いいか、よく聴いてくださいよ。希望を抱いても、待つのは争いですよ。奇跡などはペテン。子供へのまやかしなのさ。年を経てから、そんな物は、どこを探してもどこにもありはしないと気付き、絶望するのさ。けれど、もう引き返せない。幼き日の憧憬を抱いて、苦痛に塗れた人生を生きろと? 素晴らしく極上のいんちきだね。神でもない者が、恐れ多くも神の真似事をするからこんな様になるんだぜ。いい加減に認めたらどうだい」


「わしは、君自身が語る命題に挑み、これからをより良き方向に導いてくれることを期待しておるよ。君には口だけが付いている訳ではあるまい。幸い、手と足はまだ動くのじゃから。君が自らの手で変えるが良い」
「まあ、無駄ですね。分かりきったこと。この世界は平和には、向いていないんですよ。第一、僕が正論を吠えたところで、あんたらは振り向きはしないからね。よってたかって潰しにくる、フフ。いいんだぜ、僕を軽んじても。今に、この世は神の慈悲を無視して、野望を振りまき、やがては怒りを受けて滅ぶのだから。僕はやらないとは、言っていないけれどね。そんなにあなたの思想で洗脳したければ、もっとまともな議論をして欲しいんだけれどね。あなたの言は、回りくどくて、偽善的で曖昧だよ?」

 ジョージはどこか、嬉しそうだった。

「ジョージや、それでも、人は生きていく。そして、平和への願いも受け継がれていくものじゃ」
 サムは、吹雪に消えたジャックの姿を思い出していた。師はその問題に真正面から立ち向かった。例え、ジョージの言うとおり、一時の気休めだとしても、誰も名前を知らない、感謝されることもないのに、命を捧げた。 

「それはまた御勝手で都合のいい答えですね。だから大人は困るんだ。すぐ近頃の若い者は……なんて、何千年も昔と同じ事をいう。第一、そうやって育てたのは誰だい、そんな社会にしか出来なかったのは誰だい? 今まで、のらりくらりとやってきた癖に、若者が真実を言ったとたんに負の遺産を押し付けるなよな……うわっ! どうするつもりだ辞めろ、僕は主だぞ!」
 尚も続けようとするジョージは、突如現れたアハトに横っ腹を突かれた。
 ふてぶてしく主の威厳を保とうとする若造に、最速のトナカイと称されるアハトは強烈な頭突きを食らわせた。
「ブルオゥ!」
 異形のトナカイはサムをじろりと見てから、気絶したジョージの襟首を引きずって、後ろのソリにぽんと放り込んだ。
 さながら、服を洗濯かごに入れるくらいの気軽さで。力の強さはサウザントの兄、というだけはある。そして主従は、そのまま去って行く。
 これは彼なりの今回の一件に対する感謝の意、だったのかもしれない。サムはそう思うことに決めた。


 物音に反応したのか、長机につっぷしていたルシアががば、と顔を上げ、言った。
「サム……。君は雪の中に消えちゃ嫌なんだからね。私はあの日からずっと君の背中を追っているんだからね……」
  言い終わるなり、彼女はまた眠りについた。


 その後、サムは二日酔いになったルシアを代りにソリを操り、家まで送ってやった。
「送ってくれてありがとうね。あいたた……」
 彼女は額を押さえた。すぐに酔ってしまうサムからすれば、水を浴びるが如く飲んで頭痛ですむのは凄いことだ。
「飲みすぎなんじゃよ」
「いいじゃないの。年に数えるくらいしかないんだから……あー」
「ブルッ」
「ブル……」
 サウザントとヴィアが、年来の友人を気遣って鳴く。昨晩、この夫婦は大変だった。
 片角になり傷を負った夫を出迎えたヴィアは取り乱し、そして大いに怒った。
 サウザントの制止を振り切って、アハトに抗議に向かった。夫の兄に盾突く彼女を、一頭と一人で宥めるのに苦労した。
  
「でも、ルシア。良く彼を助けてくれたね」
 酔い冷ましの薬を飲むルシアに、サムは言った。
「私はそんな小さなことを気にする女だと思って? 慣れてますから」
「ありがとう。彼はあの時のわしじゃった。わしも何だか救われた気がしたよ」
「あら、そう。褒めてもなにも出ない……と言いたい所だけど、出るんだったわ」

 そう言って彼女は日記を手渡してくれた。元々はジャックがベスに託したものだそうだ。
 ちょうど、サムにとって最初のソリ大会が終った頃のこと。サムがジャックの言葉を受け入れられるようになったと思ったら渡してやって欲しいと頼まれていたらしい。
「今の君になら、素直にジャックの言葉を受け入れられるんじゃないかしら?」
「ジャック……」
 その気の遣い方がいかにもジャックらしくて、サムの目は潤んだ。自分がどれだけ不肖の弟子だったかと思うと涙が出そうになる。
 日記からはかすかに、あの優しいココアの香りがした。

   

 その日記はサムが来た時から始まっており、綺麗とはいえないけれど、素朴な文字で日々の生活が綴られていた。
 中身はサムの成長のことが目立つ。さながら赤子の養育日記だ。
 読めば読むほどに、ジャックがどれだけ自分を大切に思ってくれていたかが分かった。
 眼を閉じればあの頃のことが鮮やかに思い出される。
 ソリが上達していくのを手放しで喜んでくれたこと、サムが気にしていたことについても、どうしてやればいいのか、と彼もまた悩んでいたことが延々綴られていた。そしてそこには、サムの細やかな心を気遣いあえて黙っていたともある。
 あの時、苦しいのは自分ばかりだと思い、誰にも理解されないと悩んでいたが、師もまた苦悩の中にあったのだ。
 そして、後半の数十ページはサンタ同士でも、公然と語られることはなかったジャックの素性について。
  
 サンタクロースになる前のジャックには妻と幼い息子がいた。愛国心に燃える青年だった。
 仕事は戦闘機のパイロット。冬の悪天候に強いことから、雪狐という異名で呼ばれ、敵国にもその名が知られるくらいの撃墜王。
 数多くの爆弾を敵地に落とし、多くの敵機を落とし、敵のエースと幾度も渡り合った。それは国を、そして家族を守るために最前線で行う命を賭けた戦いで、避けられないもの。ジャック自身も、家族を守る任務を誇りに思い、日々戦場で命を賭けていた。
 サムの父親が当時住んでいた大都市は敵国で、ジャックは勇猛果敢に攻め込んで爆撃をしたともある。

 そういえば昔、たった一度だけ、父親は売れない舞台役者だったと母から聞いたことがあった。その父の顔には、栄光ではなくてひどい火傷だけが残っていた。反抗したい年頃には、何が役者だ、と思ったものだ。
  
「都会だと? 駄目だ駄目だ! この身のほど知らずが。あそこにはな、田舎もんを食い物にしてやろうって奴がゴマンといるんだ! 近所のガキ共にも出し抜かれてからかわれてるようなお前が、蛇よりもずる賢くてしたたかな連中とやっていけるものか。逃げてんじゃねえぞ!」
「僕のなにを知ってるんだよ! 父さんこそ、あそこから逃げ帰って来たんだろ!」
「なんだとこの野郎」
「飲んだくれの父さんは嫌なんだろ、僕があっちで成功するのが! 追い抜かれるのが。だからなんだかんだいっちゃ、邪魔するんだろ!」
「出てけ! 二度と面なんぞ見たくねえ」
 本当の意味を、あの時のサムはまだ理解できなかった。
 いや、認めたくなかった。父は息子である自分を心配していたのだ。消えない傷を負わせたくないがために。
   

 戦いを終えたジャックは何個目かの勲章を受け取った。人に殺められそうになりながらも、人を殺めて得たものだ。けれども、彼に本当の栄光や平和はやってこなかった。なぜなら、守ろうとした家族はみなことごとく死んでいたから。ジャックが敵国に運んだのと同じ物で。

 そして、人の命を奪い去る時の感触は一生拭い去れない。常についてまわるのだ。神に祈れども。

 万の敵を倒せば英雄だ、なんて使い回された言葉を使う者もいるが、矢面に立たされた兵士にはそんな台詞は陳腐だ。
 皮肉なことに、敵機の爆撃による火災によって、一番守りたかったものはあっけなく失われた。
 
 ジャックはなんのために、懸命に戦っていたのか分からなくなった。敵が憎いのは、自分の大切な家族を脅かすからだ。
 では、自分が奪った命はどうなる。敵と全く同じようにして奪ってきた家族がいるのではないか? 相手も自分と同じで大切なものを守ろうとしただけだ。答えも救いもない問いにとりつかれた彼は酒に逃げた。
 責めるべき相手を見つけられないままに戦争は終わり、気迫をすっかり失っていたジャックはそこでお払い箱になった。
 
 悔恨と酒に溺れる日々はなにも答えをくれない。
 戦中、焼け野原と化した街はジャック達を忘れて、復興に勤しむ。彼の居場所はもうない。
 荒れ果てた生活の末に、ジャックは家族と訪れた思い出の場所にやってきた。
 伝承によるとサンタクロースが住むという山だ。身投げでもしようかと思いつめながら登る。
 ここからはサムと同じ。不意に巻き起こった吹雪に意識を断ち切られた後、サンタに救われ、贖罪として運ぶ物を爆弾からプレゼントに替えて空を駆ける道を志した。
「息子がもし、生きておれば丁度同じ年頃になるだろうと思ったのじゃ」
 そしてサムを襲った吹雪は、師亡き後に孤独に耐えかねたジャックの仕業であったことが書かれていた。
  謝る言葉が続いていたが、サムは恨んでなどいなかった。吹雪の奇跡を起こせたのもまた、神様の思し召しがあったからだろう。
  
 最後のページには、サムに向けての言葉がつづられていた。  
「サムや、枠にとらわれて悩むことはない。他の者がなんと言おうが、また、心の中の悪魔がどうささやこうとも構わない。本当に大切だと心から思えることを探しなさい。そうして辿り着いた答えが、己のためだけではなく、皆のためでもあるものだと願っておる。儂の心を救ってくれたサム、我が息子」

 

 

そして、無情にも争い達は飽きることを知らないまま、サムの元へもやってきた。

 

<いらすと・樫乃ぴすさん>

 

 

つづく……


 

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空でダンスを〜完全版〜25

空でダンスを〜完全版〜』

 

25

 

 

 

 

 夕暮れ。
 ソリ大会が終わっても、ジョージは一人会場の隅っこにうずくまっていた。進退を賭けて望んだ戦いは自身の大敗に終った。想定しうる最悪の結果だ。
 トナカイを御しきれなかった上に、あれだけ挑発した相手に公衆の面前で命を救われた。見下していた奴に、これみよがしに情けをかけられた。こんな屈辱はない。

 

 サンタ達は、それ見たことかこの生意気な小僧め、と自分の冒険が失敗した事を喜び、大いに笑った。サンタといっても、地上にいたときは、いやしい身分だったに違いない連中だ。時代の流れと共にすっかり落ちぶれた貴族の出である、自尊心が高いこの若者には、到底耐えらないものだった。


 サンタ達は話を聞きもせず、トナカイ達は邪険に扱ってくる。
「ふん、悪いのは全部あいつらなのさ。全く、何も分かっちゃいない。老いぼれどもが古い権威にすがろうとも、それでも地球は廻るのだ。あいつらはじきに滅ぶよ。僕はロトだ、汚れた中でも、英明で潔白であり続ける者だ。悪徳の街が神の怒りに触れようとも、塩の柱にはならない」
 彼の捨て台詞を聞く相手はいない。孤独だ。悲しみを理解できる奴などいない。まあ、そんな風に世は巡るのだろう。いくら優れた部品でも、周りの粗雑な歯車と噛み合わなければ、厄介者扱いされるのだ。


「誰も僕の話に耳を傾けやしない。何もかもが嫌になったね、嗚呼、すっかりこの若き鷹はすっかり疲れてしまったのさ。楽園の島を目指そうとも、それを信じぬ連中が見事に足を引っ張ってくれた。ここいらが潮時か、連中め、精々束の間の天下を楽しむがいいよ」

「ときとして、そう思うこともあるじゃろうのう、お若いの」

「へえ、盗み聞きとは関心しませんね。親の躾がなっていないのですかね?」

「つい、耳に入ってしまったのだよ。君が目にしてしまったのと同じようにの」
 返って来ないはずの答えに、いつのまに現れたのかサムが答えた。
 ジョージはばつが悪そうに、あさっての方を向いた。若者はこの中年男が、挫折を笑いに来たのだろうと思った。
「僕はあなたに対して興味なんてありませんよ? 僕は慰み者にはならないぜ、おじさん」
「ふむ。わしはあるがね。諦めないことじゃ」
「あなたの希望なんて、僕にとってはどうでもいい。不必要な接触は時間の無駄ですよ。無駄にした時間の分をあなたが負担してくれるのですか? 僕は忙しいんだ! 僕はいつも忙しいから、ろくに眠っちゃいないんだ!」
「そうかね」
「そもそも悪いのはあなた達、異端者ですよ。あなた達が騒動を起したから。僕はそれを正すべく立っただけさ。なのにこの有様。正義は悪に破れる運命なのですよ。嗚呼、笑うがいいさ、強かでずるい蛇、汝の名前は人間」

 サムは、よくしゃべるその若者を見て苦笑いをした。彼が自分の若い頃に似ている気がしたからだ。
 昔の自分を端から眺めれば、こんな感じであったのかもしれない。
 ジャックはそんな自分にどう接したのだろう。あの時、自分はどんな気持ちだったのか、どう接して欲しかったのか……。


 薄いひげを撫でながら、中年サンタはポケットからあるものを取り出して青年に差し出した。
 それは夕日を受けてキラキラと輝く。
「何ですか、この子供だましのガラクタは?」
 幾分古びて、少し色あせたおもちゃの勲章。かつてサムが執念で掴み取ったものだ。だが、今はもう『一番の栄光』にすがる必要もなくなっていた。
「これが風船に付いていた小包の中身だよ、ジョージ。アハトの手綱を取るためによく頑張った」
「……恩を売ろうと? いや、違うね――買収。僕の口を塞ごうたって無駄ですよ?」
「それは君の自由だ。働き者の手袋に敬意を表しただけじゃよ」
「……」
 サムはジョージのぼろぼろになった手袋におもちゃの勲章を握らせた。
 ちっぽけな感触を手袋越しに感じた若者の目にうっすらと涙がたまっていたが、サムは知らぬ振りをしてやった。

 

「こら〜。男同士でなにじめじめやっているの! へぇ〜私に手を出さないと思ったら、そういう趣味だったのね。応援するわよ?」
「なにを言っているんじゃ、ルシア。酔っておるのか」
「今日は祭りでしょう。これが飲まなくてどうするの」
 酒瓶を抱えたルシアは千鳥足だ。呂律がまわっていないだけでなく、息も酒臭い。
 ソリ大会の時にしか飲まないのですっかり忘れていたが、この麗しい女傑はいたく酒癖が悪かった。到底サム一人で、気ままに振る舞う彼女をどうこうできるものではない。

「誤解です。不愉快だ、誠に遺憾だ。そうやって風説の流布を行い、不都合な真実を隠蔽しようとしている。権力者という者は常にそうだ。喧伝が巧みだ。そうやって人々を木偶人形にしてしまう」

「あら、愛が、男と女だけって決まっているわけじゃないでしょ? 別に男と男、女と女でも、愛があっても構わないでしょ、坊や。頭固いわね。もしかすれば釘が打てるかもしれないわね」 

「あなたはああいえば、こういう。そもそも論点がずれていますから。これでは全く、話にもなりませんよね。それでもって論調が気に入らなければ、例の如く強引な手段に打って出るのでしょう?」

こんな高い所に住んでいるのだから、もっと広いものの見方をしてもいいんじゃなくて?」

「なるほど……今、僕は、あなたの浅はかな魂胆を理解してしまいました。いいですか? 力で屈服させるには足りず、僕の言論の自由をも取り上げたいらしいね、ふぅ、やれやれ、この暴君は呆れてものも言えないね。ああ、ほとほと呆れ果てたさ、けれどね、ローマ皇帝が課した苛烈な弾圧の日々が、この試練が、信仰者達の魂をより強く清浄にしたのだ! そうだ、眼前の猛威はさしずめ、暴君ネロといった所かね。さあ、この義人に石を投げるがいいさ! 石打の刑になろうともこの崇高な魂は、正に聖人として語り継がれる、そうだろう?」

「評論家にでもなったら? それとも詩人がお好み?」

 二人は睨みあう。 

 

 サムが二人に割って入った。
「まあまあ。わしはあまり飲めないから、遠慮しておくよ」
「ええ〜つれない男ね。私の酒が飲めないって言うのお! 何年一緒に働いて来たと思ってるのお。あ、そうだ、坊や。こっちにいらっしゃい。お姉さんが特別に君の知らないことを色々と教えてあげるから」
 おねえさん、という言葉がいやに強調されていた。
「断固、拒否します。僕の有意義な自由を奪う権利は無い。それに『おねえさん』という表現は客観的ではないね、ああ、全くだ。全く適当ではないね。酷い詐称だぜ」
「全部、却下ね。えへへへ〜、確保。今日は朝までとことんいくわよ〜!」
「うわあああ……」
 首根っこを掴まれたジョージは、問答無用でルシアにずるずると引き摺られる。

 彼はおびえた小鹿の目でサムに助けを乞うていたが、こうなると誰にも逃れられない。サムはこわばった笑顔で手を振り、新たな門出を見送ってやることしか出来ない。

「神様は君に新たな試練を課したようじゃのう。ルシアよ、無理に飲ませてはいかんぞ」

「大丈夫。話し相手よ、ただの話し相手よ」

「助けて……神様……あっー」

「うふふ、楽しみだわ」
 哀れ若者は祭り会場に連れ去られていった。

 

「ブルル……」
 入れ替わりにサウザントがやって来た。その姿を見てサムはあっ、と声を上げた。
 彼の片方の角が根元からぽっきりと折れている。夜目にも毛皮は乱れ、所々に血が滲んでいるのが分かった。
 長年の相棒だ。その様子で、サムは大体の事情を察した。
「お兄さんと会ったのか、サウザントや。これは派手にやったね」
「ブルッ」
 彼は落ち着いていた。
 相棒の隣に膝を折ってゆっくりと座る。 
「そうか。角一本で兄の顔を立てたのかな?」
「ブルッ」
 いつも通り、ぶっきら棒に低く鳴く。けれど、目は澄んでいた。
 幼い頃、兄の額につけた傷のことをずっと気がかりに思っていたのかもしれない。
 サムがジョージに昔の自分を見て手を差し伸べたのと同じくして、相棒もまた過去に向き合った。
「そうか。今日は月が綺麗だな」
「ブルッ」
 一頭と一匹は、暗くなった空にうっすらと輝く月を見上げた。

 

 

<いらすと・樫乃ぴすさん>

 

 

 

つづく……

 

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空でダンスを〜完全版〜24

 

空でダンスを〜完全版〜』

 

24

 

 

 ジョージはスタートする前に、ルシアに手を差し出しながら近づいてきた。
 どうやら握手を求めているらしい。笑顔でそれに応じた先輩に、黒髪の青年は小声でささやいた。
「若獅子に花を持たせるという大人の考え方はできないもんですかね。年長者がかさになって食ってかかるのはみっともないと思いません? それともそんなにサンタ界での地位を維持したいのかい?」
 一方的な物言いに、内心ルシアは開いた口がふさがらなかった。

 彼の理屈の中では、自分はさぞかし憎たらしい仇役なのだろう。心外だった。 

「あら、怖気づいたのかしら。そんな時はね坊や、地面に這いつくばって許しを乞うものよ」

 若者は、しらばっくれても無駄だぜ、と指を振った。 
「僕を野放しにして置くと、あなた達ベテラン優位の勢力図が、塗り替えられる可能性がありますからね。こっちは、どうして僕を敵視して、目くじら立てるのか理解に苦しんでるんだぜ? こっちの身にもなってもらいたいね。サンタの癖に戦争ごっこなんてくだらない。そんなに僕の存在が怖いのかい?

でも、いいのかな? 故無き僕を貶めたことは絶対に忘れないぜ? サンタ達の面前で、不貞を白日の下に晒してさしあげてもいいんですよ、こっちは。聖女様は裏では破廉恥極まりない行為にふけるなんて、いたく失望しましたね。全くとんでもないことだぜ。あんたはチェックメイトなんだよ、おばさん」
 若者は舌なめずりしながら、さらりと言ってのけた。急所を突いたと確信しているようだ。
 どうやら、サムとの口づけのことを言っているようだ。あの時ジョージはサウザントに尻を脅かされて、退散したはずだった。だが、本当は隠れて様子を窺っていたのか。


 しばし沈黙するルシアに対して勝ち誇り、こちらを見下してくるそばかす混じりの白い顔は勢いに乗って追撃をかける。
「おいそこの野蛮トナカイ、この前は良くも暴力に訴えてくれたな、人間様の言葉を良く聞けよ。いいか、お前達畜生は、人間が主なんだぞ。それが僕に歯向かうなんて、さ」

「ブルッ!」

「あれ、いいのかい? お前が兄貴に花を持たせなければ、お前の大切なご主人とこのおばさんをサンタから、精神的にも肉体的にも追い落としてやるよ? だってそうだろう。僕を槍玉に上げている本人が、みだらな行為にふけっているなんて不条理極まるよ。まあ、自業自得だけどね。言っておくけど、こちらはノータッチだぜ。サンタのモラルに基づいて裁きを下すだけ。魔女へは鉄槌、って訳さ。だからねトナカイ、君は遠慮しろ。そうすりゃ、反省したとみなしてやらなくもない。これは多分、温情って奴だ。すがれるうちにすがっておいたらどうかな?」
「……」
 忠実なトナカイは返事をしない。代りに体から白い湯気がモクモク立ち昇る。
 彼は小生意気な青年のあざけりに、沸々と湧きあがる怒りをこらえた。それを見たジョージは、けたけた笑う。
「ゴウゥ!!」
 牛並みの体格を持つ兄は、そんな弟を腰抜けと挑発する。だがサウザントは黙っている。
 ルシアは、ジョージの頬目掛けて反射的に平手打ちを繰り出していた。
「お、おお……女なんかにぶたれたことないのに! 卑怯だ!」


 あっけにとられて立ちつくすジョージに、彼女はぴしゃりと言った。
「覗きが趣味なんて感心しないけど。どちらが上とか下があるのかしらね。くだらないゴシップなんかでトランプの切り札を繰り出すような顔をされたから、思わず手が出たわ。ごめんなさいね、私の手は正直者だから」
「そうかい。大人は勝手だね。都合が悪くなると、力に頼るのだからさ。そうやって、我々みたいな者は、こんな身勝手な俗物たちの圧力を受けて不世出で終るのだろうね、クク。だが、それこそが正当性の証拠だけれどね。ああ、正義は悪に敗れ去る運命なのさ。清流は海の濁流に塗れて毒されるのと同じくね」


「ジョージ、あなたはどうしたいの。何が望みなの? はっきり言いなさい。要領を得ない人は好みじゃないわ」


「全く頭が悪いね。いや、往生際が悪いというべきか。野蛮トナカイの方が余程物分りがいい。これだけ君達のたくらみを懇切丁寧に説明してあげたのに。分からないなら辞書でも持ってきたらどうだい! それくらいの努力をしろよ。何で分からないないかなあ、どうして分かろうとする些細な努力ができないかなあ。僕がなしたいことはいつだってシンプルなことなんだ。そう、勝って正しさを証明すると。それに尽きる。僕に酷い乱暴を働いたトナカイ共、それを見て笑った年寄り達……許せないね。これは不当な侮辱だよ。僕が一番正しいというのを、認めない連中達に、名実共に知らしめるだけですよ」

 ルシアは、目の前の青年の頑なさに若い頃のサムの姿をほんの少しだけ見た気がした。

 ただ、意固地だったけれど、ジョージのように人を見下すような捻くれ方はしていなかったはずだ。


「本当、サム坊やの方がまだ可愛げがあったわね。輝く夜空ばかりを追っている君に、真昼の星の美しさも教えてあげる」
「愚かだなあ、昼に星なんて見えるものかよ。全く斬新さがない例えですね。正直あなたにはうんざりさせられる。意味不明な説教はいいけれど、若い僕は勝つぜ? アハトは群を抜いての最強だからね。僕の智と彼の力。老いた狼は道を譲るべ……」
「御託は、もういいわ。勝負よ。口先でうんざりさせるのが、サンタの仕事じゃないでしょう?」
 ジョージの鼻先に人差し指を突き付けてそう言うなり、彼女は踵を返しソリにひらりと飛び乗った。

 
 前座試合のルールは、ソリ大会と同じ。空の彼方に浮かんでいる風船を持って帰ってきた者が勝ちだ。歓声の中、二人は合図で飛び出す。


 先に出たのは、アハトだ。蹄鉄を履いた太い脚で地面を蹴り出して、引き絞られた弩(いしゆみ)の勢いで前に進む。
 サウザントはそれに一拍遅れてスタートした。ジョージの脅迫が彼の脚を鈍らせたのか足取りは重い。
 崖を踏み切って空に飛び出したのもアハトが先。そのまま、どんどん距離が離されていく。
 
「やっぱりとんでもねえな! アハトは。まるで大砲の弾だぞ。ジョージの奴、必死でしがみ付いてやがる。俺はルシア嬢に賭けてるんだぞ!」
 ベンは興奮して叫んだ。

「サンタが賭けごとなんてどうかと思うがのう」

「良い子ちゃんサムよ、これは祭りなんだからよ。硬いことはなしだぞ」

「ふむ……」
 サムは首を捻っていた。長年連れ添っている相棒だけあって、サウザントの異変に気付いた。彼が本気を出せば、もっとずっと早く駆けられるはずだ。

 ルシアの乗り手としての技量は申し分ないどころか自分よりも上だ。彼女の気質からすると、駆け引きなんてしない。ましてやわざと負けて花を持たせるなんて性格ではない。仮に前評判の通り、アハトという装具で身を固めた巨体トナカイが規格外だとしてもだ。


 後ろを振り返るジョージの姿に、サムは昔の自分を見た。勝つことにこだわり過ぎていた頃を。拘りすぎて、大切なものを見失っていた日々を。

 しかし、ルシアもあの日同様に負けぱなしではいなかった。

 巧みに風の流れを読み、手綱を巧みに操ってじりじりと距離を詰めていく。サウザントもやる気を出したのか本来の力を発揮し始めた。


「直進に関してなら、アレにかなう奴なんていねえよ」
 アハトはやはり強かった。追い上げに臆することもなく、猛突進で空に浮かぶ風船まで達した。

「どうだ! 分かったか。これが僕の力だ!」
 若者は長い腕を伸ばして、風船を掴む。そして両手を挙げて勝ち誇る。後は戻ってくるだけだ。

 

 だが次の瞬間、サンタ達に大きなどよめきが起った。
 

 出発地点に戻るために方向転換をした時に、ジョージの態勢が大きく崩れたのだ。アハトが、乗り手の状態を無視して曲芸に近いターンを速度を落とさずにやったものだから、たまらない。落下は避けられたけれど、体は投げ出されてソリに両手で掴まっているという状態だった。彼は眼下に広がる大地と対面した。人が作った建物はあまりにもちっぽけで小さい。流れる汗が額から落ちて、すぐに見えなくなった。

 

「アハト、アハト! 僕の言うことを聞けないのか!」
 アハトは若い主人に気など使わない。ただ勝利を、ゴールを目指すだけだ。ジョージの手など無用と、トナカイは自由気ままに天を駆け己の力を見せ付けた。その度にジョージは振り落とされそうになる。
「主人の命令を聞かないなんて、こっちにも考えがあるぞ!」
「グルル……」
 若造の脅しに素直に応じるトナカイではなかった。邪魔だと言わんばかりに低く鳴いて高速で駆け続ける。
 ボロボロの手袋に包まれた汗まみれの手から、力が少しづつ失われていくのが若者には、はっきりと分かった。ちくたくちくたく。

 それは無情にも残りの時を刻む時計の針の音として聴こえた。
 この瞬間にジョージは己の過ちを悟った。栄光の風船は彼の手を離れてどこかへ飛んでいった。

 そして、ルシアは――。


 コースを変更して彼を助けようと、手綱を操り遮二無二空を駆けていた。けれどサウザントの動きは思わしくない。兄やジョージに遺恨があるのか。
 この状況がサムにあの事件を鮮明に思い出させる。勝負にこだわるあまりに、落ちるサンタを見過ごした自分に。
 だからサムは出来る限りの大きな声で叫んだ。
「サウザント! ジョージを助けてくれ!」
 遠くの彼に伝わったかは定かではない。けれどサウザントはサムの声に応じたかのように、大きく吠えてから一気に速度を上げた。

 

つづく……

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