燦然たる黒歴史の溜まり場く(´(Å)`)ツルリ

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信越の記事

あめにこまいぬ557回目/町編

あめにこまいぬ557回目/町編

終章3◆

三十七節〜損無し〜

 

 虎児は手乗り文鳥よりも小さい。付近の蛸たちは落雷で一掃したが第二波がやってくる。おちおち刀の姿で骨休みもしていられないと思ったのか、夕の元へ駆け戻ってくる。
 元気のない足取りで狭い歩幅を動かし、大きな水溜まりをぴょんと飛ぶ。踏切位置が不味かったせいで前脚が届かない。ばしゃんと控えめの音を立てて落ちる。びっくりした虎児は水溜りをかりかりひっかきながら脱出した。体を捩り毛皮から水を跳ね飛ばす。
「くうん、くうん」
 犬の鳴き真似をしながらやってくる。
 ざんばら髪で大の字になった夕に脇腹を擦りつけ、頬を舐める。構ってくれないので腹の上に乗っかる。うっちゃれた虎児はぴょんこら腹や胸を飛び跳ねた。
「だあ、もう煩いわ。あたしゃ疲れてんだってば」
 半身を捩って振り払ってから年寄りじみた言葉を漏らす。ぶっつけ本番で妖術を放つ依代になったせいで体が重い。大群を薙ぎ払う前のやる気が沸いてこない。第二波が敗残兵を収容して戦線を建て直し、攻め手を差し向けるまではちょっと休みたい。
「きゅう」
「はい。頑張ったよしよし。終わり」
 虎児が鼻をひくひく、小さな瞳をうるうるさせじっと見つめてきたが放っておく。また腹に乗り、足の一本橋をとことこ渡ろうとする。抗議のつもりらしい。
「後で風呂に連れてく。だからもういいでしょ」
 起き上がった夕の膝で丸くなる虎児。転がっていく五つの大樽。あいつらが何をしたいのかぴんとこない。あれだけの図体の樽は高くつくし、目立ってしょうがない。どうぞ狙ってくださいといいたげな進軍速度。何をしでかすか見守ることにした。

 樽は焦げ臭さの漂う蛸の陣地へ向かう。醤油や酒を仕込むのに使っていそうな寸法の樽は避けて通るなんてしない。虫の息の蛸たちは道をあける気力もない。樽も待たず、そこのけそこけとごりごり踏み潰す。だがそのうちひとつが蛸で滑って乗り越えに失敗した。進み直すかと思いきや、正反対の向きにごろごろ転がっていく。
「なにがしたかったのよ」
 どこ吹く風で出戻る樽の背中へ疑問をぶつける。しゃっきっとしろと蹴りで押し返す元気はまだない。ここでやっと豪雨が煙幕を綺麗さっぱり洗い流してくれていたのに気づく。しかし秋たちの影も形も見えない。どこへ隠れたというのだろう。藩お抱えの一族出らしきくのいちがいる。かといって逃げも隠れもしない樽はいかがなものかと思う夕だ。

 残る樽は四つ。
 もっとも急ぎ足の樽は第二陣の分厚い個所へと向かう。
 通さぬと立ちはだかる先触れとぶつかった。立ちはだかる数杯の蛸が一本の腕を構えて白礫の発射姿勢をとって射程範囲に入るのを待っている。昇る煙に夕は目鼻を突くあの臭いを想像して鼻をもぞもぞさせた。
 構わず進軍してひねり潰す。
 飽くなき前進を続けようとする樽だが速さは知れていた。同じく普段は鈍足の蛸たちも歩調を合わせてとりつきやすいとみえた。不愉快な侵入者を押し留めようと、負けじとも左右から寄って集ってへばりつかれる毎に遅くなる。
 気力のあった夕なら小走りで追い越せるぐらいのものだ。回転面に押し潰されてもへばりついたままの豪胆な勇士がいる。士気が高まったのか、援護射撃が加わり体を張った阻止に参加する。大挙する蛸たちの活躍により本陣深くに食い込まんとする意気は阻まれ、手前でとうとう力尽きてしまった。
 制圧したぞと誇らしく樽の上に乗る蛸多数。岩場でたむろするそれに似ていた。群れで狩りをするなんて初見だが。水棲生物でもおのぼりさんはいるらしい。がっしり体を固定しつつ、残った腕を高々と掲げて誇らしげだ。
 側面に集まってきた鈍重な連中は二本腕づつを掲げる。集中砲火を浴びせられる。蹂躙される樽に目を覆いたくなるがばっちり見ていた。
 寒気が走る。突破口へ決死隊がなだれ込んでいく。
「あっちゃあもう駄目ね。あたしもやられてたらああなったのか、うはあ」
 樽はうんともすんともいわなくなった。居心地がいいのか入った連中はでてこない。我も我もと入居者は後を絶たない。
「大ざっぱな蛸壺漁だよね」
「がう」
 夕たちは他人事の感想を述べた。

 残り三つ。続けて樽が縄張りに侵入する。蛸たちは賢い。慌てず騒がず、がやがやと進路方向へ陣を構えて待ち受ける。避けずに突っ切ろうとしたところにまとわりつく。二つの大樽の動きで、とるに足らないでくの坊だと学習したようだ。人海戦術ならぬ蛸陸戦術だとあれよあれよとくっつく数は増え、労せず動きを止めてしまう。
 比較的弱い側面へ溶解液を飛ばし侵入口を形成、がやがやと侵入を果たす。手際がとてもいい。また失敗。いや成功すればどうなるのか夕は知らない。ふと彼女はある可能性について思い至った。
「あん中に隠れてないよね。まさかね」
 川に大きな桃が流れていても老婆が拾うくらいなのに戦場を転がる大樽を素通りさせてくれるとも思えない。
「がう」
「でもさあ。ぱあっと妖気で騒ぎたくなっちゃうんだよね」
 虚仮淵であの下帯を身に着けると誰だって矢も楯もたまらず走り出したくなるのだと思う。ただ悪ふざけのやり方がよろしくなかったということだ。どうにか家族に口実を作り女友達で芝居見物や、夜半の茶会にこぎつけた際の舞い上がった気持ちに似ていなくもない。大技の影響で胸の晒しと腰巻がほつれ破れているためかちょっぴり夕は冷静になれた。
 斬り込んで助けに入っても勝算が薄い。刃物は虎児に食われてしまったし。決死隊に魅力を感じないが、つかの間の友情に応えて身支度をする。拳銃二丁の装填の確認。雨に降られた後なので従来の火縄なら湿気っているところだ。
 桑原の札は黒焦げで字が読めない。
「あんたはやれそうにないね。ちびっこじゃ」
「くうん」
 面目なさそうだ。空は雲ひとつ浮かんでいない。
「どれにいるかわかんないからね。まあ悪あがきぐらいはするもんだと思うけど。音沙汰がないようなら困るね。通りすがって無理そうだったら諦める。姫様を呼びにいって弔い合戦をする、いいね」
「にゃうわう」
 剃刀に化けた。焼き毀れ、がたがたに欠けてしまっている。
「はは、犬か猫どっちかにしなさいっての。抜き身でもたさないでよ」
 渋々小さい虎児に戻る。掌に載せるとのそのそと居場所を探し谷元に潜った。夕は呆れたが苦笑で済ませてやった。
「よっし、いくよ」
 小走りをすれば太ももが引きつる。夕は顔を少ししかめながら、うなだれた蛸の輪を飛び越える。着地でよろめいたが踏ん張って駆けた。一手が遅い盤面の中で彼女だけは香車の如く突き抜ける。

 絡めとられた最初の樽へ近づく。銃を構えて内部へ入っていく蛸に狙いを定め、引き金を引く。火の気たっぷりの弾が出てくれた。狙いは少し逸れて穴の中へ入る。夕はしまったなと思った。次の瞬間、樽が突如大爆発をした。木の板を弾き飛ばしながら大きな爆炎を伴ってまとわりついた蛸を焼き焦がす。夕もとっさに腕で顔を覆う。
「やっちゃった。でもでも火薬を仕掛けた樽に同乗したりはないよね。松永弾正じゃあるまいし」
 落城寸前になって、助命嘆願でよこせといわれた名器の釜。それを渡したくないあまり、敵に見せびらかしつつ我が身諸共爆破した梟雄が戦国乱世にいた、と兄がいっていた。派手好きだな。
「あれ、茶入れだったかな、九十九髪茄子」
 茄子の名で恋に貪欲な異国のお嬢様が頭をよぎる。囮になるなんて殊勝な性格でもないだろう。あの樽は外れだと思うことにした。流れ玉で着火したのではない。当たりでも楽にしてやったと考えよう。
「くうん」
「大丈夫だって、多分」
 割り切って夕は第二の樽へいく。大がかりな反抗の跡は見られない。最初の樽の爆発でざわめきはあるが基本居心地がいいらしく、野生の縄張り意識はどこへやら入居者が殺到している。雑魚みたく群れたがりな蛸らしい。

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あめにこまいぬ556回目/町編

あめにこまいぬ556回目/町編

終章3◆

三十六節〜ごろごろ〜

 

 ごろごろ天が轟く中で銃弾を再装填を終えた頃、いよいよ本降りになってきた。土砂降りの雨に打たれた額を拭う夕。
「でもさあ。あたしの露払いを待ってくれなきゃなんだよね」
 立派な白虎の毛皮がついた拵えへ話しかける。無論、化け虎児が変化、本来の姿になったものだ。
「短っ」
 背丈を気にする主と根っこは同じか、毛がわしゃわしゃ逆立ちむくむくと膨らむ。
「がう」
 まん丸の毛玉がぶわりと弾んだかと思えば、獣に戻った虎児は毛がほんのり赤い。夕の腕から宙返りで地面へ跳び降りる。
「あ、戻った」
 鞘に納めた脇差をひったくられた。がしがし齧り始める。
「あんたねえ、怒ってんでしょう。小童の玩具じゃないの、大した家柄じゃないうちにしてみたら結構高いんだからねそれ。あっ、骨をしゃぶる犬じゃないんだからやめな。歯が欠けるよ? 喉刺さるよ? よくもまあ蛸入道に囲まれて食欲が弾むわ」
 ばりばり、ごくり、平らげてしまった。兄に見つかったら大事になる。普段は甘々だけどあんまりにも過保護だ。
「げふ」
「おならとか糞はやめてよね、お願いだから」
 尻尾を振りふると、ぴょんと夕の頭まで跳ねて肩にのぼる。跳躍を見せびらかしたかったようだ。またがしがしとよじ登り、刀に化け直す。虎児の毛皮で覆われた鞘は尻尾のよう、見ろ、と強く促すようにみょおんと伸びていた。ほんの少し。
 鞘を払おうとすると鯉口が切れない。
 ごろごろ喉を唸らせる。
「犬だか猫だかはっきりしない虎だわ。遊んでるんじゃないよ。機嫌直しなさいったら、ちっちゃい器だね」
 刀になった虎児にいった。機嫌を損ねた刀のどこをわしわししてやればいいと悩む。
 次郎が健在なら秘すべき技をべらべらと喋ったろう。派手な代物。天候とあの頭の考えそうなことぐらい容易に察しがつく。
「あのうっとおしい雲。あんたらの仕業でしょ」
 ふて腐れている虎児の柄をぎゅっと握る。だんまりだ。
「へえ。いいんだ」
 かちんときた。柄をこちょこちょ指でひっかく。最初は我慢していたが柄がむくっと膨らみ懸命にこらえているようだった。更にしつこくやると白い拵えがうっすらと赤みを帯びてきた。
「あんた、夕様に盾突こうなんて百年早いのよ。やせ我慢はよして、やるならやんなさいよ」

 つつと、虎児が蛸の本陣へ導く。なんとなくなが大立ち回りをしてやろうというのは熱く拍動する握った柄越しに伝わってくる。 
 いつ止むともしれない重い水滴の一粒がばたばたと身を打てば、火照った頭皮が温い水を首筋に落とす。夕は結ってあった髪を乱雑にほどいた。秋がしているように長い髪を垂らすとばさばさ振った。
「いいよ、ちまちま倒すのも飽きてきたもんでさ」
 大地を急速に潤す雨を蹴り、夕は敵中へ駆ける。
「で、どうすんの。ごろごろびっしゃん、なんでしょ」
 右手が痺れる。変貌した懐刀は稲光が独鈷杵の形をとったようだ。仏像がもつ法具はびかびか輝く。硬い蕾のようでもある。
 虎児の仕返しなのか独鈷から伝わってくる血の川を蹂躙する濁流に夕は唸り歯を噛みしめて耐えている。ばりぼりと貪欲に貪り食おうとする音を発して揺らぐ。確かに凄い、十やそこらは軽々となぎ倒せそうな雷撃の迫力を感じる。でも夕は少しがっかりした。もっと壮大で壮絶な幕切れを期待していたからだ。
「まあすごいよ。うんすごいけどさあ。できたのが串焼きじゃ焦らしたほどじゃないね」
 兄がお土産を持ち帰ってきてくれた時にいつもする会話だ。相手がにこにこ寄ってくるからこちらもついうきうきして期待を膨らませてしまう。発破をかけられ独鈷がばきばきと一層凄まじく鳴る。
 気が急いて大勢と接敵しすぎてしまった。蛸の壁が一斉に夕を見ていた。嫌な腕が自分に向けられている。下帯といい、妖刀といい気持ちが舞い上がってしまう不思議。
 ままよ。
 虎児は使い道を解説してくれなかったので痛みに曲がるか怪しい腕に負けじと力を込める。えいやと掛け声と共に独鈷を敵中へ放り投げる。
 敵もさる者、受け取った蛸は腕で独鈷杵を器用に挟んだ。
 思ったよりもさらに下回る威力にしまった、夕が思った時、独鈷がびょんと急激に細く長く伸びた。ぶつっと蛸の腕を抜け、胴体を刺す。上部も如意棒もあわやの伸長で天を衝く。
 独鈷を伝って雷が落ちる。黒雲中の全ての稲妻を導いて蛸の壁へ炸裂する。
 渦巻く稲光が真っ白に染め、と大木も切り裂きそうな轟音がつんざく。雷の幕のように広がった。不味い。そのあおりを夕も食って吹っ飛んだ。
「ううっ」
 馬鞍から跳ね飛ばされたかという衝撃。投げ出された体で辛くも受け身をとる。軟泥が些少なり打撃を和らげた。
 独鈷は四度、五度と執拗に落雷を呼び入れる。どん、びしゃり。その都度、大筒を並べて放ったような音声が砕けた。その都度、あちらこちらから絡みあった腕で輪を描いていた同胞たちへ雷を伝えていき電熱を浴びせ続ける。
 夕は腕で顔を覆い隠す。土砂降りの雨が作った泥水に腰を濡らしながら後退する。お嬢様と違いとっかえひっかえできるわけではない。大事な着物がいよいよ滅茶苦茶になっていると思うと悔しくて、叫んだ。ぐにゃりとなった蛸を盾に雷雨が去るのを待つ。

 目が慣れてきた夕を待っていたのは黒焦げの壁だった。壊滅に近い有様。大戦火に気怠い腕を掲げて勝鬨をあげる。利き腕はまだひりひりした。地面はべとべとに濡れているが黒雲はそそくさと去り、からっとした晴れ間が覗く。
 雲の切れ間から差した光が、地面に突き刺さった懐刀を照らす。うんとこさ縮んだ気がする。床結いの剃刀くらいしかない。
「ようし、上出来。みたか。ざまあみろよ」
 兄が鼻を鳴らすだろう、下品に腕をぶん回して憂さ晴らし。
 突出組を主として蠢いているのは二十ぐらい。連中もなかなか賢いから惨状は理解していよう。退却余儀なしだ。士気の衰えた蛸など物の数ではない。蜘蛛の子散らして逃げていく。長時間の早歩きは得意でないのに脚を懸命に動かす様は哀愁を誘う。
「うひゃ」
 着物は汚れたというよりも破れ放題の簾を泥水で染めた格好になってしまっている。露わな素肌も泥だらけ。汚れたというよりひりつく手首から発する数十匹の猫に襲われたようなひっかき傷が生々しい。たっぷりお湯を使ったお風呂に入って頭まで浸かりたい。髪を合間をわしゃわしゃ洗いたい。
 しかし相当数の増援たちがせめて前面だけでも陣を立て直そうとしている。
「しつっこいわね。こんな格好の乙女に恥かかせようってのあんたら」
 もうおしまいの気分の夕。はしたなく舌打ちした。
 
 ずりんずりん。
「さあてと、あれなんだ」
 通り過ぎていく巨大な木樽群を見とがめる。
「飛ぶ烏賊に助平蛸。次は樽。どこにあったのさ」
 醤油の醸造樽ほどのものが五つが通り過ぎていく。ぬかるんだ泥土を幾重の輪が噛む。こちらのごろごろは天のいななきに邪魔されていよいよ近くに迫るまで気付かなかったが、この図体は目立つ。


「あんなおっきいの。押して進むなんてね」
 打ち合わせがあったわけではない。そいつらは進路はおろか歩調もてんでばらばらでとって外へ逃れようとしていた。やけっぱちを疑う。獏の国のお嬢様が実家と揉めて、手妻の種がなくなってしまったとぼやいていたような。だからってあんながらくたは破れかぶれ。どんな賑やかしを隠してるか知らない身では絡みとられてうねうねされる姿が思い浮かぶ。
「はい、じゃさ。後はよろしくね」
 夕は手足をぴんと伸ばして大の字に寝ころんだ。

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あめにこまいぬ555回目/町編

あめにこまいぬ555回目/町編

終章3◆

三十五節〜虎斑(とらふ)と金輪〜

 

 夕は健脚と拳銃で、蛸への牽制と移動を繰り返す。虎児は得意の脂ぎった火球を宙へ吹きあげては、蛸たちの脳天へ落とす。
 虎児の肩乗り砲台、この作戦はつぼにはまった。蛸たちはここぞという時でないとすばしっこく動かないし、たいして長続きしない。夕は回避に適当な距離を保つ。海棲にも関わらず地を這ってきた連中といえど火炙りは身に堪えた。十、二十とたちまち大火傷にのたうつ蛸たちが出来上がる。
「うしうし順調」
 捨て置けじと前にも増して蛸の軍団が壁を離れてわらわらと向かってきている。ようやっと歩調を乱せるまでになってきた。
「かふっ」
 虎児の吹いた火球は小さくて頂点に達する前にかき消えた。そろそろ弾切れらしい。


「ちょっと。がんばんなさいよ、もう終わりぃ」
 そういう夕も疲れてきた。片方の肩に乗られっぱなしというのもあって、次第に重みが増していくようだった。しかほど激しい動きをしていないのに息が乱れている。これしきでへばるはずもない。彼女に思い当たる節がある。
「もしかしてあんた、いたいけな乙女から精を吸いとっているんじゃないでしょうね」
「ふがっ」
 人間臭く、罰の悪さを表明されて夕はふうと息をつく。
「やっぱりか。このどら息子。勝手に親の財布から抜き取るみたいだわ。寝てるだけの飼い主からとんなさいよね」
「くうん」
 困ると虎児は犬になる。勘弁してくれと泣きを入れた。夕の鼻柱にぴちょんと水滴が落ちる。ぽた、ぽたぽたと勢いがつくと、たちまちざあっと土砂降りになる。真砂が水の術で派手に暴れた反動か、乾きひび割れていた赤い大地の筋目に水が流れていく。
 蛸に水気はよろしくない。蛸たちはにわかに活気づき脚をにゅるうと伸ばす。人が背伸びをするように、草木が生長するように潤う悦びを体中で表現する。銃で狙われているのも忘れてはしゃぐ。
 他方、夕の士気は鎮火気味だ。彼女の常識内だと鉄砲は水気に弱い。火の術も同様。着物が濡れて肌にくっつく。
「あれもあんたの仕業じゃないよね」
「ぐるう」
「余計な真似を。いい線いってたのに。火遊びでやめときなさいよ。まったく、あれもこれもとやりたがってどれも半端でちらかしてる。悪い癖までそっくりね。あいつが定寸二刀流なら、あんたは火と水。親子ねえ」
「ぐるがあ」
 悪戯をとがめられた子供のよう。叱ってくれるな理由がある、一方的にどやしつけられるのに不満気な唸り。

「なにさ文句あるならいいなさいよ。あっ、ちょっと」
 とたたと肩から腕を伝って手首へ降りていく。羽衣の下帯で結界が貼られていても柔肌に爪を立てられると不機嫌にもなる。放り捨ててやろうかと思った時、虎児は懐刀に姿を変えた。

 

 大きな物体がごおろ、ごおろ転がっていく。樽はとても大きいので窮屈ではないが居心地はよくない。獏も序盤は中で歩いていたがすぐにすっ転んでしまい、以後そのまま。居心地の悪いことになっている。妖術の力を受け頑丈な鉄の輪が地面を噛んで進んでいく。
「こんな珍妙なからくり樽に乗り込んでで切り抜けられるんですかねえ」
 同乗したくのいちは四つん這いのはいはいで対応中。秋と蝸牛はいない。別の樽に同乗している。
「私だって不安です、桶で」
「変に細かいですね。棺桶にならないことを祈るまでです」
「縁起が悪いといい張るんですね。でしたら樽でいいです。とろいの樽で」
 転がっている最中も、くのいちと獏はこの乗り物は樽か桶のどちらかで少し揉めた。職人なら一目瞭然だろうが彼女らは此度の件があるまでは興味もなかった。曖昧な知識をぶつけ合うので決着はつかない。
「とろとろ、牛歩ですね。走ったほうが早いです。おかめさん、後々詳しい方にまた尋ねるということで棚上げにしましょう。怒るなんて不毛です」
「違うんです。外洋から入ってきた童向けの物語に左様なものがあるんです。箪笥や長持ちに隠れて、油断したところで奇襲を」
 くのいちの新しい面が怖い。角と牙がにゅっと突き出している。般若のようだったが、彼女は生成(なまなり)です、まだまだ怒りは本番じゃないですよ、といった。獏にとって充分ご立腹に思える。細かい違いがわからないので曖昧に頷いておく。
「あんまり怖がらないで。面の裏側は可愛いんですよ。板目を灯りに照らしてみましたがなんの木だかわかりますか」
「そうですか。私は疎いので」
 どう答えればいいのやら。


「別の話題にしましょう」
「次郎さん邪魔」
「寝てますけど」
 くのいちにぞんざいな仕打ちを受ける次郎は哀れ布団でぐるぐる巻きにされたままで樽の奥側にうっちゃられていた。前以て、頭の補強なり眠り薬で措置をしておいた。緩衝材のお陰で痛みは薄いが揺れはいかんともしがたい。無体な扱いをされても起きず転がされている。
「現状、病み上がりで下手に起きられて騒がれるとかえって迷惑ですからね。変にやる気をだしてもらう場面でもないので」
「なのりさんって、次郎様がお好きなのですね」
「どう転がるとそうなりますかっ。いいえ誤解です。訂正しておきます。お客様、金づるですから。私の理想の伴侶から最も遠いですよ。秋さんもいないので転がりながら恋話はやめましょう。緊張感が大事です」
「私たちの企みが失敗したら、あられもない姿できっとはしたないめ目に遭うのです、よよよ」
 息を弾ませるくのいち。獏はげんなりしながら答える。
「想像逞しくするのはやめましょうね。男運ないといいましても蛸に好かれても。そんなに堕ちてもないです」
「ああ、帰ったら奈良漬の湯漬けが食べたい。あいたっ」
 くのいちはそう答えてから注意を怠り、面の角部分をぶつけて痛がった。
「飛びましたね、突然。他の桶に引っかかってくれるのを願いたいです。あちらはやや単純ですけど、こちらの桶の不思議な忍術、使い物になりますかね」
「体験者の喜びの声は聞いていないですね。なにせ使う場面が限られているので。私の直感を借りた神仏のお告げだと思います」
「それでよく選びましたね今更ながら。いえやめましょう。喧嘩は沢山です」
 ぽちぱち、急な雨の音が樽を叩く。
「雨の慕情ですね」
「そんないいものですか」

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あめにこまいぬ554回目/町編

あめにこまいぬ554回目/町編

終章3◆

三十四節〜補給〜

 

 薄暗闇に突進してきた虎児。はあ、つかれたといって。ぼろぼろの着物でぺたんと座る夕。
 夕は虎児を撫でてやる。くうぅんとかにゃあとかいってみせた。しきりにまとわりついて、赤くなっている箇所をぺろぺろ舐めたがるのでくすぐったくてしょうがない。猛獣の癖に滑らかな舌だ。しまいに股座に潜ろうとするので脇下に手を差し入れて離す。
「犬か猫か、統一しなさいよねあんた」
「ぐるう」
 そんなこというなと唸る。
「駄目だよ。飼い主みたいな甲斐性なしの好色漢になっちゃあ」
「がう」
 一緒くたにするなといいたげに吠える。これは治療だと抗議しているようだ。それでも太ももにすり寄る虎児。獣なのに妙に人間臭い動きをする奴だ。夕はあんまり期待できないなと思った。こいつは虎の皮を被ったませ餓鬼ぐらいに考えておこう。
「ま、寝てたまんまのあいつよりはいいわ」
 弾の補充ができる。まだまだ蹴散らしてやれそうだ。専守型な蛸どものことだから一杯一射なので見えない的に撃ってこないと思いたい。薄暗闇をゆっくりと包囲して待ち構えているだろうか。態勢を立て直そう。
「見えにくいわ。灯りを頂戴」
 虎児がぶっ、と鼻水を飛ばすと地面に落ちて小さな種火になる。
「よろしい」
 夕は灯りを頼りに拳銃二丁に弾を装填した。
「腕ごとやっちゃうのが欲しかったけどまあいいでしょ。よしよし、六発づつ、十二発が撃てちゃうな」
 虎児がもってきた補給物資には三枚の札が含まれていた。獏が手ほどきしてくれたのを思い出しながら札に念じてから地面に落とす。ぽんと煙と共に現れたのは竹筒、小壺と小皿、そして残りは札のまま。
「あれっ、これ不良品かな。なのりは行商人より香具師よりだからなあ」
 札を拾う。種火に透かして見れば、陰陽師の呪符めいた崩し文字は桑原桑原と読めなくもない。
「雷ねえ。なんでこれなのよ」
 獏族ご用達の札を逞しい前足で小皿をかりかりと引っ掻きしきりにおねだりをする。
「なになに、一丁前にあたしにお酌をしろっていうの。旦那でもないのにさ。あんたときたら図々しさは親譲りよね。まあいいわ、助けにきてくれたご褒美はあげないとね」
 栓をきゅぽんと開けると、小壺を傾けて餌皿に並々と注いでやる。虎児は尻尾を振り振りそれをぺちゃぺちゃ熱心に舐める。夕も我然、興味が沸いてきた。壺をくんくん匂ってから、小指の先を浸して、ちょろっと舐める。
「うわあ。これ油かな。しかも結構いい奴じゃん勿体ない。ああ、あんたでも化け猫の体裁だけは守ろうとすんのね」
 灯心の油を舐める化け猫ならぬ化け虎の図。香ばしい匂い、原料はなんだろうと思案した。
「そんなに飲んだら喉乾くでしょうが。持って帰って豪勢な揚げや炒め料理に使いたい」
 数寄者の門左なら舶来の油を使った奇妙な調理法を知っていることだろう。夕は動き回ってお腹が空いた。自分に魔の手を伸ばしてきた蛸を食い物にするかどうかは悩みどころだが。
「ねえ、後でこれで蛸焼いてあげるから食べなよ」
「うう、がう」
 半端な返事をもらった。竹筒はよく冷えた柑橘の匂いがする飲み物で満たされており夕の喉を潤してくれた。出所は獏族だろうから即席の滋養効果が望めそうだ。たちまち体が軽くなった気がした。

 それから着物。飛んだり跳ねたりの大立ち回りに邪魔だから脚は自分でまくったけど意図しない露出が諸々増えてきている。兄が熱を出して寝込む。これはこれで腹部の守りが厚くなっているということなので無意味じゃない。蔦みたいにぬらぬら巻き付いて締めあげてくる相手は相性がよくなかった。
「人の肌着をまとうのって嫌なんだけど。悠長もいってられないんだよね。うわ生温う」
 夕曰く、羽織った布地を甲冑並に変える力があるというのだから補強はしておいて損はない。くのいちの所有物と思しき黒地の長い長い下帯を脇差で裂いて手足の気になる箇所にぐるぐる巻きつけて繕う。長いのは忍術に用いるからだろうか。多分、本来の用途は覆面代わりにするのかもと思ったが実行はためらわれた。
「さあてと、いきますか。あんたもきてくれるんでしょ」
「がう」
 また擦り寄ってくる。こいつの扱いは心得たつもりだ。
「よし。もし百杯狩ってくれたら女湯につれていってあげるからね」
「ふんごふんがっ。ふぐふぐ」
 鼻をもごもごさせた。総身の毛を逆立てて、犬みたいに尻尾をぐるんぐるん荒々しく回す。囲炉裏に手を当てているのかと思うほどの熱気がぶわっと小柄な体より放たれる。とても本気になった。
「はっ」
あからさまな豹変ぶりを夕は冷めた顔をして鼻で笑う。
「一丁前に。なにが楽しいんだか」
 虎児はというと飛んだり跳ねたり、積もった雪にはしゃぐ犬のようで夕の周りを駆け巡る。ひとしきりの興奮がすぎればぴょんこらと夕の左肩に乗っかる。
「なにすんの。遊んでる暇ないんだから。いたっ」
 がっきと爪を立てて固定。振り落とそうとしても梃子でも動かない。

 空はいよいよ暗くなってきていた。黒雲が天を覆ってぐらぐらと不穏な唸り声を発している。
 小休止を挟んで気分も切り替えた夕はさっそうと打って出た。予想通り、蛸はゆっくりと夕たちを包囲しようと布陣している。間合いは数十歩以上もある。悠長なものだ。
 腕を高く掲げて銃眼よろしく少しの隙間を開ける。投射ができる腕は前へぴんと伸ばし、出てくる夕を網漁よろしく待ち構えていた。数は二、三十ぐらい。遠縁から見る大包囲のほつれはややあるものの、決定的ではない。そろそろ増援が尽きて欲しい気持ちだ。腕を恐ろしく早く振るったり瞬発力はなかなかでも長い間走り回ったりするのは苦手らしい。数でうんとこ勝る連中は慌てる必要もない。反撃の手が尽きたところをもみくちゃにしてしまえばいいのだから。
「急に動くと疲れやすいのかな。降りなさいって」
 肩を振るが虎児は嫌々をする。
 
「あたしの価値は三十杯ぽっちかあ。見くびんないで。それっ」
 夕は勇ましく腕を掲げると惜しげもなく二丁同時に発砲する。蛸はそれを腕の簾で防ぐ。腕を自裁するのを許さずあわやという間に延焼、わらわらとくねらせる様が盆踊りのよう。枯れた地面に腕をこすりつけるが火の手は大きくなかなか消えない。夕は露わになった胴体へ容赦なく弾を浴びせて黙らせた。
 虎児が重心を傾けながら爪先を軽く当て夕になにかを伝えようとしていた。
「え、なになに」
「かふっ」
 器用に射角をとると斜め上へ拳大の火球を吹きだした。それは蛸の腕を通り越して頭上から襲う。着弾すると軽く爆ぜてばちばちと燃え続ける。
「へえ、やるじゃない」
 どうだと問答無用と力を誇示して咆哮する。虎児が油をたっぷり食していたはこのためだったのかと夕は合点した。虎児は再び火球を吐いて脳天へぶつけた。蛸たちは窮屈な防御姿勢でほとんど動けなくなっている。それをいいことに夕も動着回って暴れる。
「あんなにおっきいんだもの。巧く仕留めたら、干して炙っていか徳利みたいに蛸樽とかできないかな。無理があるか」
  飲み食いのことが頭に浮かぶ夕であった。いか徳利というのは徳利風に成型して干したものだ。いかの産地で作られている粋な逸品。平木は港があるのでそこから入ってきた。紹介してきたのは無論、呑兵衛の門左だ。
 雷雲蠢く暗い空。干物づくりに向かない天気。

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あめにこまいぬ553回目/町編

あめにこまいぬ553回目/町編

終章3◆

三十三節〜梱仙索(こんせんさく)〜

 

 

 着物をたくり上げ、柔肌を晒した姿で巨大蛸とやり合っている、と心配性の兄にいえば泡を吹いて卒倒されそうだ。

 発達を続けてごろごろ煩い黒い入道雲。夕の身にも暗雲が立ち込めてきている。
 かれこれ二十発ほど溶解液を浴びせられてきた。軽やかな身のこなしで直撃をさけてきたが、あれはほんの飛沫でも衣類を溶かす。あちこちに穴が開き、ほつれていても軽傷で済んでいるのは秋の隠し持っていた薄物の賜物といえた。
「なんなの、あいつらは」
 集団で浴びせかけられるとちょっと、いやかなり腹が立つ。子供たちに追い回され、捕まえられそうな虫の気分になる。駕籠に入れられ愛でられる蝶にはならない。
「もじゃもじゃのうねうねなのが、へろへろのへとへと」
 日記にそう記すつもりでいる。近寄った時だけ俊敏に腕を伸ばしてしなだれかかるもきりきり舞いさせられ、蛸共はお疲れだ。ぎりぎりの間合いで夕に挑発されやる気をだす蛸もいて、全力で距離を詰めてくるがそれも長続きしない。しばらくすると猛追をやめてしまう。
 特に撃ち漏らした連中はへばっていて、ぐんにゃりうつむいてしまっている。人間風にいえばぜいぜいはあはあ息を切らしている最中。しばらく経っても夕を追い回しもしない。その場に留まって幽霊柳の枝みたく腕をうねうねさせているのでとうせんぼぐらいになっている。逃げ場が狭まっていっているが、まだ案山子も同じ。むしろそいつらが身を隠す陰になってくれたのでしめしめだ。


 蛸についてまとめよう。
 動きは鈍くて数に恃んで押し包むつもりだ。
 確実な弱点は眉間。腕はよくしなる鞭みたいで捕まると大事な吸盤をもつ。あの厄介な飛び道具は腕から放たれる。一杯につき一発で大変な精力を失う。急ぎ足は得意じゃない。知恵はあって後手後手でも対策をしてくるのがもっとも手強い。
 人が矢を補充するようにできるかは知らない。無駄撃ちさせてへとへとになれば仲間を逃がすのも楽になる。雲霞の如くいるのが困りものだけど。やられ放しは癪に障る。

 最初は悠々と倒せたが、腕を簾みたいに掲げた蛸は銃撃も斬撃も効果が薄い。
 松明のように燃え盛る腕は速やかに切り離され、残りの腕が寄せ集まって合間を埋めるので丸腰になったといいがたい。ゆらゆら揺れる吸盤が人をあざ笑っているみたいで疎ましい。


 警戒されぱなしの今、本体に痛撃を与えるなら大きく回り込むか接敵しなければならなくなった。どう料理したものか。弓でももってくればよかった。
 夕は大胆に円弧を描く軌道で飛ぶ。猫顔負けにくるりと態勢を入れ替えて腕を交わしながら、蛸の頭上を通過する際に銃撃を放つ。青い血が迸る。
 奴は玉を食らう寸前まで土鈴の穴みたいな目でこちらを見惚れていたようで身震いがした。
 着地後はぐるんと地を転がりつつ、速やかに離脱を心掛けた。即撃破といかなかったが体色の変化は負傷の深刻さを示している。意外な俊敏さでぬたっと絡んでくる腕を掻い潜るのはぞくぞくするけれど要領が悪いやり方だ。接近と離脱を繰り返して処理を続けながら、他に有効な方法がないものかと思案していると怒る蛸の報復が飛んできた。あれだけ撃たれれば夕も弾速に慣れてきた。すれすれでかわし、放たれてくるものの目星をつける。白子めいた弾、白濁の飛沫。地面に落ちた粘塊から白い煙が立ちのぼる。胸が悪くなりそうな臭さ。

「次から次へと」
 集団の総体は緩やかなまま、慌てず騒がず追手を補充しながらじりじり迫ってくる。こちらが疲れてくるまで続けるつもりかもしれない。


 ちょっぴり息苦しく、胸が気持ち悪くなってきたがまだ追いつかれはしない。そうこうしているうちに燃やせる弾が尽きた。水の弾は微妙そうだけどやるしかない。
 接近して跳躍。発射。水しぶきがあがる。燃え盛る炎のような派手さはない。水妖に効き目は薄そうだ。着地してもとどまらずそのまま転がって駆けずり回る。
 夕は狙いをつけた蛸に射掛けられたがそれを交わしながら懐へと飛ぼうとした。

 踏み切る間際、唐突に周囲が真っ暗になって夕はうめく。

 烏賊の墨。秋たちにご執心だったのですっかり見逃していた。なぜ今になって妨害を。動揺を隠しきれないままで、夕は勢いのまま目測で飛ぶ。

 すれ違い様、銃を放ったはいいが吸盤に履物が引っかけられた。

 態勢を崩し、地面に顔から落ちそうになるのをこらえるも着地の仕方が悪く、すぐに起き上がれない。蛸もさるもの、青い血で額を濡らしながら懸命に腕を伸ばし絡みつく。手足を拘束された。
「あっ」
 着物がぴりぴりと震え、破れる。露わな足首から蔦みたく腕が絡まり、ゆるゆると上を目指してくる。夕は怒り銃を立て続けに撃つ。生温かくねちっこい。弱り、微細に震えながら緩慢に伸ばされる魔手の触感に鼻にかかった唸りを発せないではいられない。吸盤は吸いつくというよりも、接吻を受けているようでもあり赤子の手で揉み療治をされているようでもあり、体がじんわりと痺れてくる。毒かもしれない。
「重ね着をしている箇所に及ばないけれど、素肌でも薄い膜がかったような結界が張り巡されるから動きを妨げないし、着ている気がしない優れものよ」
 動きやすいように秋が豪語していたのが仇になる。脇差で切り払おうとするがぬめぬめしていて刃筋が立てにくい。こいつめこいつめ。やるならひとおもいにやれと思ったが、こいつは仲間がはせ参じるまで放すつもりがないようだ。動きやすさを重視してまくりあげていた着物をいいことにやわやわと内太ももに差し掛かられれば、さしもの女傑も甲高い悲鳴を漏らす。
 
 もはやこれまでと思われた時、闇を照らす流れ星が飛ぶ。
「なっ」
 小石ほどの火の玉がばらばらと弾ける。あわやのところで腕の締めつけが弱まり、くたりと地に伏せる。夕はほうほうの体で墨の領域から這って抜け出る。
「がううるう」
 憤怒の唸り。夕の目に飛び込んできたのは小さな歩幅で遅れてやってきた虎児だった。総身の毛を逆立て極めて遺憾の意を表明する。これでもかと口から火の玉を蚊帳めいた墨の領域へ吐く。

 夕は虎児のいじましい行いに嬉しく思った。しかも銃と弾薬一式を背負ってきている。お荷物の主と比べればなんともありがたい妖刀の化身。


「あんた、うちくるかい、うん」
「くうん」
「犬の泣き真似やめて。あんたも蛙の子ならぬ虎の子なんだね、そうまでしてじゃれたいか」
 とはいえ窮地を救われたのも確か、抱えてわしわししてやる。
 だがそれを体に括りつけている布に目を留めた。艶っぽい黒に見覚えがある。くのいちの晒しだ。
 闇夜での黒はむしろ目立つとは彼女の言。むしろ派手。なら何故身に着けるのか。解せない。独りでどうやったのだろう誰かが縛って送り出したと考えるのが順当なのだが。波打ち際の潮みたく寄せてもすぐに返した感動。
「おかめは大胆だなあ。ああ。そうじゃなかった」
 脚はまだ痺れが残っている。しかも吸盤跡が赤い痣になっていた。
 憤慨する夕めがけ、またもや射撃が行われる。うっとおしい。あいつらめ。ともあれ頼もしい援軍だ。銃を受け取って倍返しをしないと気が済まない。
「あんたを頼りにしてあげるわ、感謝しなさいよ」

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