タルティーン司令部戦略課室長日誌

ここだけで読める、戦略課の秘話その他。

2012年10月10日の記事

その描写を直視してこそ。

 

ほのぼのアニメと勘違いして劇場版『魔法少女まどか☆マギカ』を観ちゃう親子連れが続出?
http://getnews.jp/archives/260580

 

『おおかみこどもの雨と雪』子ども向けほのぼのアニメかどうかは微妙な気もしますが、それはさておき。

 

この感覚。恐らくは、その昔、『今、そこにいる僕』で多くのアニメファンを鬱のどん底に叩き落としたあの感覚に近いものがあるような気がします。

 

今、そこにいる僕 −NOW AND THEN, HEAR AND THERE

 

「このアニメは?

 

今から13年前、1999年秋に放映されたテレビアニメです。
舞台は遠い未来の地球(ただし劇中ではそうした表現は一切されない…※後述)。あることが引き金となって、現代を生きる主人公の少年シュウはその世界に飛ばされてしまうのですが、そこは文明崩壊後の戦火と略奪が支配していた…というもの。
放映開始時には多くのアニメファンはヒーローモノと誤解し、この主人公シュウが解放をしていく物語と思っていたのです。

 

※舞台背景どころか、個々のメカや小道具の設定等も
  それらの詳細はほとんど描かれません。
  例えば、くだんの世界は極めて砂漠化しているのですが、
  僅かに得られる水は機器の燃料ともなり、
  暴君ハムドはその水を民ではなく兵器へと費やします。
  しかし、石油燃料が無いというのはともかく、
  水がいかにして機械へのエネルギー源となるのか、
  そうした合理的な説明は一切ありません。

 

ですが、ネットで検索を掛けると判るかと思いますが、虐殺や誘拐にはじまり、少年兵同士の殺し合い、暴君の凶行等がひたすら描かれます。

 

冒頭の記事にある『まどか☆マギカ』に限らず、こうした救いのない作品は昨今では珍しくなくなっているのですが、当時にあってはそう多くはなく、OVAではなくテレビ地上波での放送となると極めて珍しい例でした。
加えて、この作品の監督の作風が、それまでとは違っていたこともあり、そうしたものが観ている者に先入観とのギャップを与え、激しく鬱にさせたと思われます。

 

ですが。

 

そういうのって日本人のヌルさだよなぁ…と、私は思うのです。(日本人には限らないのかもしれませんが…)
否、平然としていられるのが良いというつもりは毛頭ないのですが、直視し、真正面から考えることのできるようなマインドはあって欲しいし、あるべきではないかと、そんなふうに感じています。

 

「それを言うと、
 人によってはサヨク呼ばわりしそうだよ?

 

あー…、イデオロギー前提で読み解く人はそう考えるでしょうね。
ただですね、私としてはもっと多角的な次元で眺めて欲しいのですよ。

 

例えば。

 

東日本大震災で大津波があった。その津波で大勢が死傷した。
そうしたこともあって、テレビで津波の映像が流れるときは、大抵前置きの断りが入るようになった

 

「うん、それで…?

 

ところで地震以外の事故は毎日のように発生していて、例えば火災なども例外ではない。
家が全焼して死傷する。そうしたニュースも限りがない。

 

が。

 

そんな火災の映像を流すのに、

断りを入れる放送って観たことがあります?

 

「無いけれども、
 それは規模が違うでしょ…

 

うん、規模って言うけれども、その「規模」というものとは実際、なにものなんだろう?
そのどちらも人が死んでいるのには何ら変わらない。火災の被害者がその映像を観せられて楽しい訳が無い。それは津波の映像と何が違うというのだろう?

 

「それは、
 火災の映像にも断りを入れるべきだと言いたいのかな

 

いいえ、違います。

 

「じゃあ、
 津波の映像に抵抗を感じることがヌルいということ?

 

それも違います。
というより、答えのベクトル自体が違っています。そんなことを問うてはいないのです。

 

その両者にどのような差があるのか。何故に扱いが違うのか。あるいは扱いを変える必要など無いのではないか。
悲惨な状況や戦争描写を直視できない自分とはいかなるものなのか。
こうした次元を直視して考察できるマインド。その次元に気付けるマインド。それが欲しいというのです。

 

「でもそれって、
 子どもには敷居が高くないかな…

 

まぁ、高いですよね。
『まどマギ』は少々高過ぎるかもしれません。

 

でもですね、ちょっと考えて欲しいのですが、例えば劇場版の『ドラえもん』『のび太の宇宙開拓史』ってあるじゃないですか。

 

『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』、画像は2009年のリメイク版のもの。

 

あの映画の終盤には主人公のび太と殺し屋ギラーミンとの早撃ち対決がありますが、負けたらのび太が死ぬって誰もが思っていますよね? たぶん子どもでも、そう、恐らくは大多数の子どもは、それが理解できていると思うのですよ。

『ドラえもん』のパッと見た印象が結構ほのぼのとした感じなので気付きづらいのですが、藤子・F・不二雄氏の描写って容赦ないものが案外多いんです。

 

 

子ども向けですし、のび太が死んだら本編が終わってしまう。そういうメタな理由もあって『のび太の恐竜』でも『のび太の宇宙開拓史』でも『のび太の魔界大冒険』でも彼らは死なない。そして何らかのかたちで大団円を迎えます。
でも、観ている子どもにとっては、そんなメタな話は関係無い。つまりその瞬間は、その場面と真正面から向き合っているのです。だからそこにヌルさは無い。

 

 

『まどマギ』を取り上げてどうこうと言うのではありませんが、親子揃って直視できるような、そういう環境が育てられればいいなぁと、そんなふうに思うのです。

 

 

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