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【MindMarket】 7^10

 

↑人生でそう何度と無いであろう、金遣い爆発期の爪あとの一部を、うp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の8時に起床・・・・

 

 

というわけで、まぁ夜が寝れないことはわかってた。

 

とりあえず1月31日の夜だった訳ですが、去年まで住んでいた家から一番近い神社に初詣へ行ってませんでした。何年も、10何年も。

 

まぁ地元中の地元の神社なわけで、行かないのはまずいとは思いながら、も、行かなかった感じで。

 

今年は市外へ出てデカい神社へ行って、護摩もたいて今までとは違う初詣をしました。まぁ賽銭箱に賽銭いれるより高い金額がかかってるわけですが、まぁそれと同じく市外の小さい神社とで、残す例の神社へはやっぱり行ってませんでした。

でもどうしても行こうと思って、2月に日付が変わる超ギリギリ、かけこんでいって、真っ暗な神社へひとり突っ込んで行きました(笑)

 

それを終えて、車へ戻ろうと階段をくだりはじめてから、一応時計を見てみたら、0:01

 

まぁ間に合ったのかどうか、歩き始めるまで数分経過していたような気もするし、ほんとのところはわかりませんが、ギリギリ間に合ったのかなと勝手に思うことにしました。

 

初詣といえば大抵、特別なこともあり、この神社も含め、三が日はドコへいっても夜遅くまで人がいて明るいもんです。

元旦に行った大きなところは、そりゃもう人まみれでしたよ。

 

 

しかし今回のような、普段だれもいない神社で、まっくらな中ひとりで用を足しに来る感じ、けっこう好きなんだよなぁ〜w

 

 

 

 

 

 

 

そしてまぁ、山の下の入り口に車を置いておった訳なんですが、

 

このままテキトーに深夜の道を久しぶりに海岸まで出していこうかなぁ〜と、思ってたんです。

 

カチカチッ

 

セルが回らない。

 

まぁこれ自体は珍しくないんです。バッテリーのマイナスが甘いとなるから。

 

トランクから接点復活剤を取り出しスプレー。

 

OK

 

 

 

 

 

で、工具を出して締め直そうと思ったけど、

 

コンビニにでも行って明るいところでやればいっか〜

 

と思いスプレーを戻してトランクをバタンッ。閉めました。

 

 

さて走ろうかな。あれ?鍵は?

 

 

 

普段のボクの愛車、

イグニッションキーをさしっぱにし、

ドア、トランク、給油口、家の玄関、これらの鍵はまとめてキーケースにくっつけている訳なんですが、

 

 

 

 

 

 

 

そう。

 

キーケースはトランクの中っぽい。

 

無意識すぎてハッキリ今さっきのことを思い出せないけど、無いもん。トランクしか有り得ない。

 

ガソリンは?入れるつもりだったわけで、タンクにはあんまりない。

 

そうなんです、給油もできないんです。出かけれないんです。久しぶりの遠出が、できないんです。

 

 

 

 

 

 

これはもう、

 

 

"今夜はやめとけ"

 

 

のお告げだと思いました。

いやむしろ、お告げってことにしておかないと、それはもう悔しくて悔しくてwwwwww

 

 

だから昼間、点検、洗車、など含めて、後部座席バコーンはずして、トランクからのカギの救出、それからなんだっけな、まぁそこらへん、明るいうちに全部済ましたいんですよね。

 

 

 

そう、昼間の起床が必要なの。

なのに今何時?10時wwww

 

 

まぁいいんだけどさ。頑張って起きますよぉ〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜オマケ〜見ることはそんなにオススメしません・・・長いし

 

 

 

まぁ1月31日なんて、普通に初詣として成立しないくらい遅いんだけど。

(三が日に行かなかったからかな、とか、元旦に行かなかったからかな、とか後々思えちゃうしねw)

 

最近はなんとなく自分にもたらされている気のする何かのために、あるいは悪いことがおきないように、行動するといったような、普段の自分に対してのプラスαを望む上で、できることの中のほんの一部分のためでも、具体的に行動するようになったんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おれの車なんかの話じゃなくて、別の話なんだけど、ハイソな車に乗っていると、それを知らせずとも、ハイソな人との関わりが増えたとか、そういうささいな信憑性のモノなんかも含めて、

 

運的なものって、信じなかった訳じゃないけど、まぁ、運がいいわるいとか、普通に言えるシーンでのみだったかな。

 

今は具体的にそれについて行動するようになったし、ひとつひとつのことに何かしら因果の可能性を見出すようになった。

ここ何日でとかじゃなくて、序々にみたいな。

 

 

 

 

 

結局いまここで挙げる範囲での、ある意味、神がかり、的なことっていうのは、全て日頃の行いに対して周りが変化するみたいな、"自分次第"であるということを軸に考えることができるものに限ったことのつもり。

 

みんなにとってもそんなに違和感ないことだと思うけどこれ→、日頃の行いが良いからとか、悪いからとか、そういう話は平気ですることができている以上、このネタを突き放す理由ってそうそう無いとオレは思うから、とくに抵抗はない。

 

 

 

 

これを全く信じない人っていうのは、今まで自分が生きてきた中で、まぁ大きなことは別として、日常流れがちなささいなことで、何かしら運みたいなものが絡んでいたかもしれない場面にも、ほとんど気付かないし、今あるものは自分の力で勝ち取ったもの、うまくいかない部分は、そんな自分がまかり通せない間違ったモノが相手だから、と無条件に思うことが多そうな気すらしてくる。

 

まぁwそこまでの自分原理主義者はそうそう居るもんじゃないかw

 

 

にしても、普段自分があまり何かに気付くことなく過ぎていくこの日常で、何かに対して多少の"ありがたみ"も感じない人は損だと思う。

モチロン、自分を育ててくれた人に感謝するとか、そういう一般常識的な部分は当然で、それ以外のことについて。

 

なぜここでありがたみの話が出てきたかと言うと、

その自分次第で変化した身の回りの何かが、いつかのその瞬間の結果に関係していないとは言い切れないといった部分での話。

つまり自分次第でそのありがたいものを引き寄せるといった意味であるから、

これが日頃の行い。

なにもウサン臭さは感じないんだけどな。

 

 

 

生きてることに感謝するみたいな、よく見るクサイ言葉、まぁこれは理想の象徴だけど、

 

なんでもなかったはずの日常ですら、数々の幸運が重なってこそのことだとは考えられないだろうか。

 

今日はついてないとか、最近ついてないとか、色々あるけど、それで済んでるとは、思えないだろうか。

日頃の行いは?

何に親切にしたとか、自分はイイことしてるとか、じゃあそれがその人の100%なのかという話になるとどうだろう。

 

その現状にすら、充分の見返りが働いているとは考えられないだろうか、もしそれがなかったら、それより悪い状況になっていた可能性は?それがとどまったのはナゼ?

それで済むという予想とその根拠が、100%自分の頭で用意できていなかったのであれば、それに運が絡んでないとは言い切れないと思う。

 

 

 

 

 

 

ここでとある大物芸人さんの名言を引用させてもらえば正に、

 

「生きてるだけで丸儲け」

 

だと思うのだッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗教について言えば、洗脳されてる人なんかもいるし、とある宗教自体なんかは完全に近づきがたいような場合もある。

 

でも聖書なんかには、普段の心構え、考え方など、指し示している部分は現実的であったりするみたい。

これを信じるということは、確固たる神の存在を理由にそれらの理想が絶対的正義として多くの人の心に植えつけられているということで、まぁいい影響でもあると考えていいんじゃないかなとは思う。

まぁでも、見たことないのにこんなこと言ってもしょうがないな(笑

 

信者の人たちにとって、「信ずるものは救われる」という言葉も当然含まれている訳で、神頼みばかりなイメージをもつ人もいるかもしれないけど、ここにさりげなく"自分次第"の要素があるんじゃないかなぁなんて思ってみたり。

 

 

 

 

神が存在するかしないかを、自分の意見として述べるつもりはないけど、

 

神というものが人間の手によって創り出されたものだとしよう。

その神を人々は信じ正しいとされる教えを正しいと信じる。

最終的に世界平和を目指したようなそれを人々に受け入れさせているのは神の存在であるし、その神が人間の創造物であったとしても、これだけの影響力を持つ創造物は、やはり神だとすら思えてしまう。

時として偉大な人物を生み出し、時として、戦乱を呼ぶこの影響力。

 

神が存在するとして考えれば、神が人間に創造させたとも言えてしまう。

ようするに、信者の人々が信じる対象の部分が真実であるかどうかが全てではなくて、何を神と考えるかでもまた、この意見の選択肢は多様に分かれると思う。

 

 

 

 

存在しても、してなくても、信じても信じなくても、やっぱ自分次第なんじゃないかなぁ〜。

宗教的な神頼みに抵抗がある場合でも、何事も日頃の自分次第であるかもしれないことについて、信じる信じないについては、別で考えることができると思う。

 

何を理由にしても、普段から自分を正すことができるということは、いざというときの結果に必ずいい影響をもたらすし、なぜならそれは、細かいことの積み重ねを、してきた自分と、しなかった自分で根本的なところから違いがあることは言わずとも知れたことであるから。

 

 

 

さぁ、そろそろ誤解されはじめていないとも言い切れなくなっているかもしれないところで、

最後にボク自身についていうと、

 

 

宗教的な思想であるとか、宗教そのものには、いかなるものについても、ハッキリいってそこまでの興味は有していません(笑)

 

 

ただ、現実的にためになる部分について、無視する理由も無いし、といった感じ。その程度。

 

 

先々自分に起こることが、いいことであるか、よくないことであるか、自分次第であるとして、それなら、自分で良いと思うことを普段からなるべく、しておこうというくらいの、簡単な話ですね、はい。

 

まぁその小さいことの1つとして、ポイ捨てしないっていうのなんかは、生 理的に無理だからしてないっていう面があるんだけど、この当然のことについて、"当たり前"の域を超えた含みを持つ、といっても普段の生活のなかで違和感を感じることはないけど、まぁそれを含んだ「エライ」というようなことを言われるのはなぜなのかと考えると、"当然のこと"が"いいこと"とされていることが関係している訳で、じゃあなぜそれが、"いいこと"なのか。

 

なんか別のブログでかいた、人のつながりのなかでは常に何かしらの売買が継続してとりかわされているみたいな、たわごとと繋がる部分があるなぁ〜って書きながら思ったけど、何が言いたいのかわからなくなってきたからもういいや。

 

 

 

 

 

やっぱ結局適当だわ〜w

 

 

まぁ思ったことを数年のあいだに忘れないうちに残してあとで時間をおいて、後々になって自分の間違いを正すみたいな、材料で書き残すことを主な目的としてますので、気になさらず〜〜

 

 

 

 

 

 

外からの出来事が人の運の良し悪しに関係することは確かだ。これには、他人の好意、機会、関係者の死、その人の美徳ゆえの機会などが入る。だが、自分の運をどう発展させていくかの問題は、その人の手中にしかない。

フランシス・ベーコン (イギリスの哲学者・キリスト教神学者・法律家) 『D・カーネギー名言集』 93頁

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神仏を敬い、神仏に頼らず

 

 

構えあって構えなし。

 

 

宮本 武蔵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※初めて御覧になられた方へ

最後までありがとうございました、そしてオツカレサマですw

 

コメント不可仕様となっておりますので、コメントをかいてくださって投稿時に発覚するというようなことの御座いませんよう!お気をつけください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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