タルティーン司令部戦略課室長日誌

ここだけで読める、戦略課の秘話その他。

映画の記事

劇場版 トレインヒーロー

日、映画『劇場版 トレインヒーロー』を観てきました。

 

劇場版 トレインヒーロー
http://www.trainheroes-movie.jp/

 

やりたいことはわかる。メッセージ性もある。
でも何か中途半端なんだよなぁ…。

 

本作はテレビ版の『トレインヒーロー』の後日談という設定らしいのですが、そのテレビ版とやらを観ておりませんので、その辺りはよくわかりません。キャラクター的にもCG的にも同系統の作品と比較して見劣りが感じられていたため、視聴する気になれなかったというのが本音でした。これが劇場版映画になると知ったとき、少々驚いたものでした。
イオンシネマでの限定上映らしく、昨年公開されたTOHOシネマズ『豪華本立て!トミカ・プラレール映画まつり』を意識している印象があります。もっともイオンシネマには『れっしゃだいこうしん』シリーズがあるので、わざわざ対抗せずともという気もします。
ともあれ『劇場版 きかんしゃトーマス』シリーズや、今期のヒーロー戦隊もののテレビ番組『烈車戦隊トッキュウジャー』等、子ども向けの“鉄”メディアがブームとなっている感は強いです
ブルートレインも姿を消していく今、どこかの劇場で『ブルートレインひとり旅』あたりを上映してくれないでしょうかね。きっと、“鉄”なチビッ子は夢中になれるような気がします。ちなみにシオンの大好きな映画のひとつでもあります。

 

『ブルートレインひとり旅』(日本、1985年、中山節夫監督)

 

閑話休題、『劇場版 トレインヒーロー』の話に戻します。

 

『トレインヒーロー』レーザーレールと呼ばれる鉄道システムの開発と、その走行を目指す列車トレインヒーローたちの訓練と災害救助を描いた物語です。
鉄道擬人化のアニメには色々ありますが、本作では擬人化というよりも、人工知能を持った車両という位置付けになっているわけですね。
なお、本作に登場する車両は基本的に架空のもの。もともと舞台設定が2100となっているため、現代の既存のものとは異なっています。
冒頭でも紹介した通り、テレビ版の伏線帰結を描いていますが、物語自体は映画単体で完結しているため、本作のみを鑑賞してもあまり問題はないように感じられました。

 

公式サイトにあるあらすじを引用すると…、
2090年、アレスターリア国の宇宙基地より「アウリオン」という超優秀な人工衛星が打ち上げられた。
しかしアウリオンは途中、恒星フレアに直撃され、消息を絶つ。
宇宙空間で帰るべき星を探していたアウリオンはなぜか「地球」という星にひかれる。
そこで、機械生命体である自分の仲間のトレインヒーローたちが、人間にこきつかわれているという誤解をしたアウリオンは、地球に対して執拗な攻撃を続ける。
その攻撃に立ち向かうトレインヒーローたちだが、何とアールが絶体絶命のピンチに!!
アール、そして地球の運命やいかに…!

 

アールとは本作の主人公のトレインヒーローです。
調子良い性格で、自分の力を過信し、独走気味になりがち。周囲からはそれを諭されますがアールは面白くなく、そんな彼の行動が二次的災害を引き起こしかけたりもします。

 

興味深いのは、悪役に相当するアウリオンには、別に地球を支配するだとかそういうつもりなのではなく、飽く迄も誤解から人間をつぶそうと考えているという点です。
アウリオンが開発され、打ち上げられた当時、まだ地球にトレインヒーローは存在せず、自らの記憶等のあるなしに関わらず、トレインヒーローというものを知らない訳であり、ゆえにトレインヒーローの訓練や救助活動というものの意味もわからない。
ただ、知能を持ったメカとして、トレインヒーローたちを自らと同一視し、彼らを救おうとしているだけなんですね。

 

一方で、トレインヒーローたちや人間、地球にいる者はアウリオンが地球に戻ってきていることに気付いていませんし、アウリオンの誤解や行動も知りません。
アウリオンによって引き起こされる諸々を飽く迄も自然災害として捉えており、その対応をしているだけ。観ている我々からすれば善悪の構図として見えるのですが、彼らにとっては「悪と戦っている」みたいなつもりはなく、これは他のヒーローもの等と比較したとき特徴的なものに思えます。

 

そうした構図が見えてくると、本作には大きくつのメッセージが隠されていることに気付きます。
ひとつはアウリオンの誤解を通して、人は、ある側面から見ることで他者や物事に対して勘違いをしてしまうことがあるということ
もうひとつはトレインヒーローたちの行動を通して、チームワークというものの大切さについてです。

 

しかし、アウリオンの誤解というものは、本作がターゲット層としている子どもたちには難し過ぎるという気がすることに加え、トレインヒーローのチームワーク性にしても、物語がやや薄っぺらいきらいが感じられるため、どこか描き方が中途半端に思えてしまいました。

 

CGがチャチな印象を受けるのも、私の本作への評価を下げてしまっています。
玩具のような見た目であること自体は必ずしも悪いとは言えないのですが、人間やガレキ等も含めてモデリングが無骨で、動きもぎこちない感じです。それゆえに安っぽく見えてしまっています。
また、アクションシーンや鉄道ゆえの走行シーンがあるにも関わらず、ブラー処理がほとんど使われていません。このため、動きがますますカクカクした感じになってしまっています。

 

本作に、ほかのCGアニメ作品のような製作費を求めるのは無理であろうことは理解できますが、映画作品として公開するのであれば、そうした部分にも力を注いでほしいと感じました。

 

 

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魔女の宅急便

日、映画『魔女の宅急便』を観てきました。

 

魔女の宅急便
http://www.majotaku.jp/

 

この原作の懐の深さを強く感じました。

 

念の為。
「懐の深さ」であって「懐の広さ」ではありません。

 

何を言いたいのかと言うと、色々なもの、色々な要素を置き換えて、色々な翻案ができるものなのだなぁ、ということなのです。

 

多くの方がご存じのように『魔女の宅急便』1989年に宮崎駿氏がアニメーション映画として制作しており、これが原作だと勘違いしている人も多いほどです。
しかし『魔女の宅急便』はもともと角野栄子氏によって書かれた文学作品であり、前述のアニメ映画のみならずミュージカルとして舞台芝居の翻案も行われています。
ただ、宮崎氏『魔女の宅急便』のイメージがあまりにも強く、今作がそれと比較されてしまう点に関しては避けることは難しいというのは理解できます。

 

ちなみに、より原作に近いのは今作になります。
1989年アニメ版今作とでは、原作から拾われた部分が違いますし、さらに1989年アニメ版宮崎氏の解釈と脚色が多分に含まれています。
原作は最終的に全編を通すと巻にも渡る長編物語ですし、それをどう編み、纏めていくかによって、翻案作品は違っていくと言えます。

 

ですが私は、1989年アニメ版今作の両方を観た上で思うのは、これはメルヘンチックな童話のような様をしていながら、じつは非常に寓話的なものなのではないかと感じるようになったのです。

 

「どういうことかな?

 

原作者が認めるか、とか、諸々のことは抜きにして、例えば完全にファンタジー世界に翻案しても面白い作品になるのではないかなどと思ったのです。
歴史的な経緯で魔法を捨てた世界。或いは錬金術なり蒸気機関文明が広まってゆく、そんな社会に、なお魔法を受け継ぐ集落があって、女の子が修行の旅に出る、とか。

 

「その心は…?

 

そんなふうに物語を置き換えても、話の肝腎は変わらないのではないか、と。

 

『魔女の宅急便』とは、キキが主人公である故に、キキの成長物語みたいに見てしまうところがあるとは思いますが、じつはキキを中心として登場人物全員が成長していく物語なんです。
その端的な象徴がトンボであるわけですが、彼に限らず今回の実写映画『魔女の宅急便』ならば動物園のナヅルにしても元歌手のタカミ・カラにしても、キキを通して殻を破っていく話なんですね。

 

もともと東洋と西洋が適当にまざった世界観の物語ですし、それをやや西洋風にシフトを振ったものが宮崎駿氏1989年アニメ版、日本色に振ったものが今回の実写版です。
どんな国のどんな地域のどの時代なのか、などというのは本作の肝として舞台設定にはあまり関係ないのではと思ったのです。

 

私自身、アニメ版の印象が強かったのは事実ですし、それを打ち破った今作に出会わなければ、この物語の神髄に気付くことはなかったかもしれないとも思うわけで、そうした機会を与えてくれたこの映画は、それなりに評価したいです。

 

 

ただ、その一方で残念なところも見られました。

 

まず、終盤の展開が説得力に欠けるという点。
カバの具合が悪い原因に、キキが関わっているというのは判るものの伏線として弱く、さらにあの場でキキの空を飛ぶ能力が戻るという理由もわかりません。
同じく「飛ぶ能力がない者が、飛ばざるを得ない追い詰められた状態に到り、ついに空を飛ぶ」という終盤の展開を持つ『ブルー 初めての空へ』を昨年に観ていただけに、この必然性や説得力の差はより強く感じてしまったかもしれません。

 

また、そのカバは実際の動物とマペット(人形)、そしてCGの種類で描かれているのですが、マペットとCGが貧弱で、リアリティに欠けています。
同様にCGで描かれている黒猫のジジはかなりよく出来ているのに、何でこんなにも違いがあるのかと思ってしまうほどです。
パンフレットを見ると、両者のモデリングに雲泥の差があり、技術的にもまるで別物なんですね。ジジに力を注ぐのは理解できますが、それにしてもカバが雑すぎるのはどうかと思ってしまいます。

 

 

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第2回「映画について語ろう会」

日、回「映画について語ろう会」に行って参りました。

 

第2回「映画について語ろう会」開催しました!
http://yukke1006.com/2014/03/02/movie_lover_sumit02/

 

上記URIアドレス先の、主催者である柏木雄介さんのブログ記事にもありますように、映画好きな方が集まり、それぞれが映画をテーマに語るというイベントで、主催者陣や私も含めて12人が集まりました。

 

私のプレゼン内容は「映画デビュー用作品について」
このテーマにした理由は、昨年に日本国内で公開上映された映画を私なりにランク付けしたところ、上位11位中作品が映画デビュー用ないし映画デビュー向けの作品になったからでした。

 

 

上位位は割とどこの評価でも見られるタイトルですが、位以降は他ではランクに入っていないどころか鑑賞すらされていないものが多く、自分の傾向があまりにも特異であることに気付かされた気がしました。
それはさておき、特に狙ったランキングという訳でもなかったのですが、その中に作も映画デビュー向け作品が名を連ねるというのは自分でも意外でした。別に子ども向け作品ばかり観ているつもりはないのですが…。(汗

 

 

実際、今回の参加者の皆さんも初めて知ったというタイトルばかりで、「ミッフィーって映画になっていたのか」とか「プラレールの映画なんてあったんだ」等の声がちらほら。
この分野への関心を呼び込めたのはプレゼンテーションを行った甲斐があったと思います。

 

以下、プレゼンでの様子を再現してみます。

 

 

  第6位に挙げた『The SALADS』、
  タイのCGアニメーションで短編作品群になります。
  セリフは一切なく、「ン?」とか「オオ」といった声だけによります。
  言葉がないため、国や地域に依存しない作りであるのは当然ですが、
  そうした意味をもたない声による感情表現が極めて巧みであり、
  声優陣の技術力の高さが感じ取れます。
  事実上の無声映画なので、観る側の年代にも依存せず、
  世代を越えて楽しめる点も高評価でした。

 

この作品には関心を持たれた方も多いようでしたが、時期を前後した頃に上映されたものの一部のエピソードが公式で動画がアップされた模様ですので、紹介しておきます。

 

The SALADS : หยุดนะนี่คือการปล้น Ep.05
http://www.youtube.com/watch?v=5QYwC_3zJbw

 

日本での上映ではOPと本編、EDのみの公開であり、00:3101:2905:2710:29の部分はありませんでした。
最近になってタイ本国でDVDソフトもリリースされたようなのですが、その収録時間を見るに、タイ現地では上記動画のように本編の前後に解説の入る構成だったのかもしれませんね。

 

ところで日本上映分には無かったエピソードで、こんなものもアップされているのですが…、

 

Let's go to the sea
http://www.youtube.com/watch?v=lvMq8clLFz0

 

…タイにも「水に関する夢→おねしょ」というイメージがあるのでしょうかね。少し気になりました。

 

 

  次に第7位に挙げました『劇場版ミッフィー どうぶつえんで宝さがし』
  ミッフィーの誕生から50年も経ちますが、
  これが初めての映画作品というのも意外です。
  内容は非常に教養的で、数や色の概念のほか、
  大人になるとはどういうことかといった道徳的要素まで盛り込まれています。
  しかし教育的要素が豊富な割りには展開はゆったりであり、
  このあたりの構成の良さが秀逸でした。
  物語にはどんでん返しもあるので親御さんも一緒に楽しめるのも良いです。

 

 

  続きまして10位の

  『れっしゃだいこうしん ザ★ムービー しんかんせんとたのしいでんしゃたち』
  鉄道DVD会社が制作する映画になります。
  観ている子が飽き始めるタイミングで、

  別の方向性を持つ変わった列車を紹介するなど、
  計算された構成になっており、子どもの好奇心を刺激する作りになっています。
  先ほども紹介しましたように鉄道DVDメーカが制作していることもあって、
  なかなかにレアな映像もあり、

  いわゆる鉄ちゃんのお父さんお母さんも無視できないものに

  なっているのも素晴らしいですし、
  かわいらしいデザインの鉄道を紹介することで、

  鉄道好きの女の子もフォローしている点も評価しました。

 

 

  さいごに

  『あらしのよるに ひみつのともだち シアターセレクション きずな編』
  もとはテレビ番組でして、

  その素材を再構成した前後編2作でなる作品ですが、
  再編集したとは思えない1本の完成された映画作品に

  なっていることも然ることながら、
  単に「ともだちはいいもの」「ともだちを大切に」という道徳論に留まらず、
  「そもそもともだちとは何か」という哲学的なテーマを

  描いていることに驚かされました。
  この問答は大人でもなかなか答えられないもので、
  「一緒にいたらともだちなのか」「楽しい相手ならばともだちなのか」

  それは違うんですね。
  このハイレベルな問題を、

  しかし小さな子どもにも理解できる流れを作り出しているのは
  素晴らしいなどという言葉では足りないくらいです。

 

 

  さて、私はこうした映画館デビュー用作品には絶対に欠かすことのできない
  大きな要素が2つあると考えています。

 

  これらの作品は言うまでもなく子ども向けのものなのですが、
  しかしいたずらに子ども扱いしないという態度が求められます。
  これが第1の条件です。

 

  しかしその一方で矛盾するようですが、同時に子どもを切り捨てない、
  置いてけぼりにしないという要素も求められます。
  これが2つめの条件です。

 

 

  まず、端的に、各作品の紹介でも述べましたように、
  いずれの作品も、子どもを連れて観に行ったとき、
  親も一緒に楽しめるものになっているんですね。
  それは即ち、子ども扱いをした作りにしていないということを
  表しています。

 

  ですが、そんのようなことではなくもっと重要なポイントがありまして、
  例えば『あらしのよるに』は大人でも答えに屈する哲学論にまで
  踏み込んだ内容を描いています。

 

  また、『れっしゃだいこうしん』は
  単に新幹線や特急車両を撮影してきて観せているのではなく、
  車両の型番や走行区間といった、

  いかにも鉄道マニア受けをする用語を織り交ぜているんですね。
  型番なんて子どもに言ってもわからんだろう、といった態度ではないのです。

 

  かと言って、難しい言葉や内容を羅列しているのではなく、
  それらを小さな子どもたちにも咀嚼できるように
  巧みな演出も盛り込まれているわけです。

 

  映画館デビュー用作品は子ども向け、幼児向けの作品ですので、
  過小評価される傾向にあるものだとは思いますが、
  しかし子ども向けだからこそ、

  むしろ丁寧な作りが求められるとも言えるわけで、
  そうした点も含めて、もっと関心が集まると良いなぁと、
  そんなふうに思う次第です。

 

なお、このプレゼン資料は、いわゆるプレゼンテーションソフトであるPowerPointで作りはしたのですが、PowerPointの再現性に信用を置いていない私は、これを動画形式にして持ち込み、使用しました。

 

「動画っていうことは、
 プレゼンで喋る早さと尺が合わないといけないよね

 

その通りです。
そのため、何度もリハーサルを重ね、尺を計算して動画を用意したのですが、この「動画を使ったプレゼン」が妙にウケまして、好評だったのは予想外でした。(^^;;

 

これに気を良くして、次の機会も動画でやろうかなぁ…などとも考えていたり…。

 

 

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ハロー!純一

20日、映画『ハロー!純一』を観てきました。

 

ハロー!純一
http://hello-junichi.com/

 

テンポが悪いの一言に尽きます。

 

予告編はひじょうによくできており、とても面白そうな印象でした。
そして、決して予告編詐欺という訳ではないのですが、しかし予告編に見られるような軽快な展開はほとんど感じられません。
登場する教師も「これはどうか」と思うような性格ですし、観ていてストレスがたまるというのが正直なところでした。

 

また、予告編を観ていた頃から、かつてNHKで放映されていたドラマ新銀河にあるシリーズのような雰囲気を感じていたのですが、実際、若年層向けテレビドラマのような物語でもあります。
映画作品としては少々厳しい点数を付けざるをえないという印象です。

 

「駄作なの?

 

うーん…、そうとも言いづらいのですよね。
少なくとも他の一般作と同じ基準で評価するのもまた躊躇われます。

 

本作にはコピーライト表示として2012がスタンプされています。しかし今年になって初めて公開上映された新作です
これはどういうことなのか確認してみたところ、本作はインディーズ的な制作をされたものらしく、一旦はお蔵入りになりかけたとか。
小学生以下無料という公開スタイルを採っていることもありますし、話題作りに観に行ってもいいんじゃないか、とも思います。

 

あらすじは予告編の通りに受け取ってもらって、まぁ間違いはありません。
主人公の純一は好きな女の子から借りた消しゴムを返せないで悩んでいるそんな矢先、教育実習としてアンナ先生が教室にやってきます。
一方、クラスメートで友達の倉本の家では両親に揉め事が起きており、倉本は母に贈り物をしたいと考え、皆で音楽をプレゼントすることを思い立ちます。

 

映画『ハロー!純一』予告篇
https://www.youtube.com/watch?v=QziRc7VRDk8
https://www.youtube.com/watch?v=1pGst-h163k

 

ですが、先述のようにテンポが悪く、登場人物の印象もあまりよくないのみならず、「これはどうなの…?」と思えるような場面が見られるのも気になりました。

 

始まって早々、下校途中の池の前でのやりとりだけで10分ほど続く。

 

 

以下、ネタバレになります。

 

 

主人公純一たちの前に現れた、教育実習生のアンナ先生
しかしこの先生。授業をするつもりがまるでなく、まるで朝日新聞の漫画『ののちゃん』(いしいひさいち)の藤原先生みたいなどうしようもない先生です。
そんなアンナ先生のクルマに「あばずれ」などという落書きがされ、彼女は怒り出し、生徒達を疑い始めてしまいます。
犯人を捕まえようということで、男子生徒たちは張り込みをし、そこにのこのこやってきたのはアンナ先生にフラれた男。

 

そこで出てくる“少年探偵団”たちの武器がこれ。

 

こんなこともあろうかとと、井田くんのベルトが炸裂。

 

ベルトのバックルに電源が仕込んであり、電気ショックを与えられるようなのですが、非現実的、というか、マンガだなぁ…。

 

ちなみにこの場面では、井田はくだんの武器について説明を始め、ガキ大将的存在の中山が焦れて彼のベルトをはずしに掛かるわけですが…、

 

 

…まぁ、当然ズボンが落ちてパンツ姿を披露してしまうわけですね。
女の子も見ているというのに…。

 

そんな、仲間の女の子でもある田中はアイドルになることを目指しており、路上でダンスを踊ったりもしているのですが、不良人組に絡まれてしまい…、

 

 

…ガムテープで緊縛されてしまうという。

 

信じられるか、これ、

子ども向け映画作品なんだぜ…?

 

 

何か、否定的なことばかり書いてしまいましたが、良い点もあります。
個人的に気に入ったのはラストのどんでん返し。

 

 

本作のキーアイテムでもある“前田さんの消しゴム”が、じつは坂本のものだったというオチ。
ちゃんと伏線があって、それを引っ張っての展開であり、伏線好きの私には好印象でした。

 

もっとも、これはやりすぎな気がしましたけれども。(^^;;;

 

「待ってたよ、純一くん☆」と言い、ウィンクまでする坂本くん。

 

なお、この伏線となっているシーンではどうなっていたかというと…、

 

 

…スクリーンからフレームアウトしているので観客にミスリードさせる構図にはなっていますが、前田は消しゴムを探した後、持っていないことに気付き、坂本から借りているんですね。
それを又貸しするのもどうかという気はしますが、まぁ、そこはそれ。

 

 

また、本作の主題歌であり、クライマックスでもあるライブのシーンですが…、

 

 

…じつは私は、予告編を観ていた頃からこの曲の構成について気になっていたのです。標準的なリズム編成ではあるものの、ギターだけが妙に目立つアレンジだなぁと思っていました。
劇中ではギターはCMの仕事が入った町田の代わりにタカオが担うこととなり、彼はバンドに心得のある唯一の人物なんですね。
もちろん、音源自体が実際に彼らの演奏によるものという訳ではないでしょうが、楽曲の構成に納得ができた展開だと思えました。

 

 

「ところで、
 伏線第一主義のシオンさんにとって、
 この映画にはまったく伏線に絡まないものがあるよね。
 あれはどうなの?

 

これのことですね。

 

 

物語本体にはまったく絡まないけれども、純一が家の前で必ず出会う謎の外国人とその彼女らしき人組
彼のセリフが本作のタイトルになっているだけで、それ以外には何の関わりもないキャラクターですね。

 

しかし、こういう「何か訳の分からないけれどもアイコンになる存在」というものは好きですよ。
何者なのか、気にはなりますけれどもね。(^^;;

 

 

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舟を編む

20日、イオンシネマシネ・アーツ枠で映画『舟を編む』を観てきました。

 

『舟を編む』(日本、2013年、石井裕也監督)
http://fune-amu.com/

 

テーマとしては関心があったのですが、主人公の名前が駄洒落くさいことが嫌で、公開当時、観るのをやめた映画でした。
しかしあちらこちらでの映画評がひじょうによく、そうなると観なかったことが悔しくなり仕方がなくなってきました。
幸い、イオンシネマで再上映するという機会があり、これは是非とも観なければと思ったのでした。

 

とても面白かった。

 

本作は辞書作りの舞台裏、編纂の工程を描いた映画です。
あまり知られていない世界であり、こうしたものをテーマとして扱っているということがまず興味深く感じられます。

 

ちなみに日本語で「じてん」と言っても「辞典」「事典」「字典」と種類があります。
また、他の国には該当する語が見られないこともある「図鑑」といったものもあります。
劇中にも登場しますが、例えばゲームのキャラクターやモンスターを扱うなどといった特定分野を取り上げた事典もあり、よくよく見回してみればいかに日本人が「じてん」好きであるのかに気付かされます。

 

本作の物語の中心となるのは中型国語辞典と呼ばれる辞書作りです。実在する代表的なものには『広辞苑』(岩波書店)や『大辞林』(三省堂)といったものがあります。
やはり劇中に登場する台詞になりますが、『大辞林』は編纂し出版にこぎつけるまでに28年を要しており、ひじょうに時間と根気のいる作業です。
なお、世界最大の漢和辞典と称される『大漢和辞典』(大修館書店)は75年(!)も掛けて完成させており、まさに生涯を尽くして行う、大規模工事にも似た仕事であることがわかります。

 

本作の物語は1995年から始まり、2010年の発行に到るまでが綴られます。
Windowsで言えば、Windows95からWindowsの時代に相当することになりますね。当然、舞台の雰囲気も初期と終盤では違ってきますし、前述のようにPCで使われているソフトウェアにも変化があります。
しかし、それでもさらに先人の辞書はパソコンも使わずに完全な手作業で編纂していたわけですから、その労力には本当に頭が下がります。

 

 

本作のキーワードとなる台詞のひとつに「“右”という言葉を説明できるか」があります。つまり、辞書の見出し「」の語彙として、その説明文を書くことができるか、という意味です。
劇中でも語られますが、これはなかなか難しいです。

 

「でも、“上”や“下”、
 “前”や“うしろ”も難しいんじゃないの?

 

いえ、“左・右”は“上・下”や“前・後”とは比べものにならないくらい難しいのです。
何故ならば“上・下”や“前・後”は単純な物理学的に表現可能だからです。
地球上で説明することを前提としたとき、端的にモノが落ちる方向が“”であり、その逆が“”になります。
今、向いている方角、見ている方角が“”であり、その逆が“うしろ”なのです。
これに対して“左・右”は説明ができません。仮に「箸を持つ側が右」と説明しても、万人が箸を右手で持っているとは限りませんし、そもそも「箸」を知らなければ話にもなりません。
また、「箸」の項目で「右手に持つ」などと説明がされているとしたら、これは実質的に自己参照になります。ものの説明としては不適当なんですね。

 

用例採集」も本作のキーワードのひとつになるでしょう。
耳慣れない言葉ですが、簡単に言えば新語を集めること。辞書に収録されていない、或いはまだリストに載っていない語を拾い、その語の説明について纏めておくこと。
こうした辞書作りの背景を知ることができるのは、この映画の魅力であろうと思います。

 

 

そして、本作を紹介する上で触れておかねばならないものとして、パンフレットがあります。

 

『舟を編む』のパンフレット。

 

これは本気ですごいです。
恐らく私は、これを永久保存にすると思います。

 

一般的な映画のパンフレットにあるような、作品の解説、スタッフやキャストの紹介およびライナーノートやコメントといったものに留まらず、ページ数は127ページ(実際には130ページ相当)にも及びます。


極め付けは、初稿ではあるものの、映画の台本全文が収録されていること

 

 

実際の映画はこれを手直ししたものとなっているため、細部に違いはありますが、全文収録という太っ腹さには驚きました。


さらにパンフレットに使われている紙の一部は、劇中の辞書のそれの実物です。劇中、辞書の紙質にもこだわり、どのような手触りで、捲りやすさと丈夫さを兼ね備えた紙が良いのかが語られますが、それをスクリーンの枠を越えて現実に体感できるというわけです。

 

 

なお、上図の写真にもあるように、このパンフレットの表紙サイズ自体、劇中の辞書と同じものとなっています
映画それ自体も素晴らしいのですが、本作はパンフレットを揃えることで、より完成された、体感し、追憶できる映画作品として、いつまでも楽しむことができるのです。

 

 

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